うっかりと逃げられたりしないように片手と片足で麗華さんをきっちり閉じ込めつつ、僕の体重で苦しくなったりしないように、慎重にベッドに身体を横たえた。腕の中にある身体は記憶よりもさらに一回り以上も小さい気がする。
(……って……あ!……そうだ……)
前にこうやって身体を重ねたのが、すでにもう10年近く前だったということを突然思い出し、僕は自分の性急さを悔やみ始めた。大体、あの頃の僕は、今よりも身長なら7cmほど低かったし、今みたいに護身術とかも真面目に取り組んでいなかったから、大して腕力もなかったし。
(うわっ。もしかして、僕、力ずくで……?)
くすん、くすん、と啜り上げている彼女が、小さな女の子に見えて……って、実際顔の大きさだけだったら幼稚園児並みに小さいんだよな、この人ってば……なんだか自分がひどく無体なことを強いてしまった気分になり、思わず眉間に皺が寄った。
「………だいじょうぶ、ですか?ごめんなさい、あんまり、突然すぎましたよね……? 今日はもう、ここまでにしましょう?」
ほとんどどっかに行きかけていた理性を無理やりかき集めて。なるべく冷静で穏やかに聞こえるように気をつけながらそう告げた。
(それなのに)
「ぃやだ。……やめないで」
自分から、僕の足を両足で挟み込んで、首を横に振りながら、涙声でそんなセリフを吐く麗華さんは壮絶に可愛くて色っぽくて。
(もう、ダメだ)
かき集めたはずの理性は、脆くも崩れ去って塵のように何処かへ行ってしまった。
「……ほんとに、いいんですか?」
それでもやっぱり、まだ収まりきっていない涙の意味が知りたくて。とてもとても、心配で。最終勧告のつもりで、いい、んですね?と、重ねて念を押せば、返事の代わりに華奢なその両腕が僕の背に回り、そのままぎゅっと抱きついてこられて。……体の奥で先ほどから燻り続けていた火が、一挙に勢いを増した。
「はぁぁぁ……もう、あんまり可愛いことばっかりすると、手加減できなくなりますよ?」
「…………いい」
いい。って……自分が何を言ってるのか、ちゃんとわかってるのかなぁ。
「どうせなら、一生消せない傷をつけるくらい、してくれてもいい」
はぁ? 傷ってなんですか、傷って。いやまあ、確かに自分でも、ちょっとSっぽい傾向があることは自覚してますが……それにしても傷っていうのは穏やかじゃないなぁ。
(あ。そぉいえば)
義伯父の撮った映像の中に、鞭とかろうそくとか拘束具とか……を使った場面もあった……っけ。それらの場面を一挙に思い出して、背筋が凍った。あいつ、やっぱり同じ目に遭わせて置くべきだったな。裏から手を回して閑職に追い落としたくらいじゃ手ぬるかったかも。後で、ちょっと計画立てよう――ま、それは一旦置いといて。今はちゃんと、れいちゃんの話を聞かなくては。
「それは……どういう意味です?」
「酷くしてくれて構わない、ということ」
プイ、と横を向いて拗ねた顔。それさえ愛おしくって。じりじりと下半身に熱が集まってしまう。
「知りませんよ、そんなこと言って後で泣いても。僕、もう今日は、あんまり手加減できそうもない感じだし……あ、でもっ!……だからと言って貴女に傷をつけるようなことはしません……絶対にね。」
そうだよ。僕はこれ以上、僕のせいであなたを傷つけたりしたくない。心にも、体にも。
「あの、ひとつだけ確認させてくださいますか」
「……確認って……?」
見上げてくる瞳が揺れている。お互いに理性のあるうちに、これだけは言っておかなくちゃ。
「いいですか?」
「もう……これからは。何かあったら、必ず僕に話してくださいね。」
二度と貴女が辛い目に遭わないように、ちゃんと僕が守るから。
「僕だってもう子供じゃないんです。母や叔父のような、財産や地位を目当てに寄って来る魑魅魍魎どもから、あなたを守れるくらいの力はありますからね? だから、僕たち二人に関することは、ぜーーーーったいに、勝手に判断したらだめです」
きっとこれからも。どこの誰が僕たちの間に悪意を持って入り込もうとするかわからないのだから。大きな責任を担う立場には、様々な負の財産もついてまわるから。厄介なことに巻き込まれてしまわないためには。
「どんな些細なことでも、ちゃんと僕に相談してください?わかりました?」
大事なことだから、と珍しく真面目に語ったのが変だったのだろうか。神妙な顔をした麗華さんが
「なんだか、妙な気分」
と、呟いた。
「……えっと……何か変ですか、僕の言ったこと」
「言っても怒らない?」
「まさか」
「なぜだか…………関白宣言、されている気がする。」
「関白、宣言ですか?はぁ。確かに、そうかも知れませんね」
ふふふ。関白宣言だ何て。関白宣言ってあれですよね、プロポーズの時の歌で……うん。ああ、そうか……もしかして、僕が言った言葉、プロポーズみたいだって、そう受け取ってくれたのかな?ま、結婚は絶対に承諾してもらいますから、覚悟しててくださいね。
「でも僕、女王様と下僕っていうのも、けっこう気に入ってたんですけど」
だって“可愛いれいちゃん”は僕だけのものにしておきたいし。
「知ってた、んだ?」
「まあ。これでもけっこう耳聡い方なので」
それにしても、せっかく温まってたのに……また冷えちゃいましたね……そう言いながら、親指と小指以外をぎゅっと鷲掴みにして口元に持っていく。指先だけ、軽く口に含みながら、
「もう一度、暖めてさしあげますから」
そう宣言すれば、二人の間の空気が甘く溶け始めた。
――その冷たい指先に、キスを落とすのは始まりの合図。
二人だけの甘い時間の、始まりの。
二人だけにわかる、秘密の言葉。
翌朝、すでに太陽はほとんど昼間際の位置に昇っていて。燦々と降り注ぐ光の中、健やかな眠りに浸っている愛しい恋人の黄金に光る髪に指を絡ませた。これからの段取りを一分の隙無く組み上げながら、穏やかなこのひと時に二人の前途を重ね合わせ、無意識に顔が綻ぶ。
「東京には、一緒に帰りましょうね?」
うっすらと開けられた瞳に、そう笑いかければ、少し頬を染めた貴女が軽く肯いて。長い夜が明けたことを、二人、実感した。
(終)