『その冷えた指先に』  
   
(5)



5日間に及んだ出張最終日、ちょうど金曜の夜と言うこともあり、強引な大沢に嫌々ながら連れ出された先は――すすきのにある有名かに料理店だった。こういうのを経費で落とされるのは困るんですが、そんな失礼なセリフを吐いたのは、少し疲れているせいだ……と思う。

「まぁまぁ、これは私のポケットマネーですから」

どうぞ遠慮なく、と言われても。いくら札幌名物だからといって、すすきのツアーまでさせられるとは……本社にゴマをすりたい気持ちは解らなくもないが、さすがにうんざりだ。

(今日は本当にそんな気分じゃないのに)

昨夜はずっとベランダで明け方まで過ごして一睡もしていないから、体調は最悪だし。

(ほんと空気の読めない奴。こんなんだから出世しないんだ)

せいぜいが支店長どまりの男のクセに……またもや胸のうちで悪態を吐きつつ、気を使わせてしまって申し訳ありません、などと平静に返している自分にも腹が立つ。さすがにこれまでずっと一緒に動いてきた山田は、私の顔色を見て察したらしく、あんまり無理しないでくださいね、と遠慮がちに囁いてきたけれど。




――昨夜、久しぶりに実家からかかってきた電話は、決して嬉しいものではなかった。

『麗華、あんた今どこなの?』『……札幌だけど』『まったく……いつから?』『月曜日』『じゃ、留守電聞いてないのね』『…………(だからいつも携帯にかけてって言ってるのに)』『あのね……お父さんね、…癌だって』『……そ…う……なの』『……大腸がん…もう末期でね……余命…3ヵ月で………もってもあと半年だって……』

父親はとても厳しい人で、とても甘えられるような存在ではなかったけれど。
それでも、やっぱり……。

――あーあ、お父さんに、せめてあんたの花嫁姿見せてやりたかったねぇ……孫は、もう……今さら無理だとしてもねぇ……。お前、付き合っている人くらいいないのかい?

耳にこびりついた母の言葉が消せなくて。泣きたいのに涙が出なくて。苦しくて悲しくて。こんな夜に弱音ひとつ吐ける相手もいないことが寂しくて。夜が明けるまで、ずっと月を眺めていた。そのついでに、普段はあまり吸わない煙草を2箱も空けてしまって。

最後には、ごほごほと咳き込みながら吐きそうになった。おかげで――ほんの少しだけ、涙を零すことができたけど……。




「……れ…か……さ………あの……だいじょうぶですか?」

れいかさん?顔、真っ青ですよ? いつの間にか、ぼんやり昨夜のことを回想していたところを、ひどく心配そうな山田の声で現実に引き戻された。れいかさん……か。なんだかいつの間にか、この男にそう呼ばれることに慣れてしまっている自分に、くすり、と笑いが漏れた。同時に、かつて私をそう呼んだ男のことをふと思い出し、その姿がなぜか目の前の下僕男に重なってみえて。

(まいった。たかがビール一杯でずいぶん酔ってしまったらしい)

そんな自分がなんだか可笑しくて。ふふ……思わず口から零れたら、

「…………くすくすくす…………くす………」

笑いが止まらなくなってしまった。

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