(10)
―― 『先生、っ……なん…か、じゃ……っ…な……い……』
きっ、と睨みつける瞳が揺れて、みるみる目尻が色付いていく。潤んだ瞳も少しだけ突き出した唇も愛らしくて。怒っている、というよりも。
なんだか……小さい子が拗ねてる顔みたい?
「先生、じゃ、嫌ですか?」
「……………」
答えのつもりなんだろうか…無言のまま色づいた瞼が閉じられる。つい…習慣で先生、って呼んできたけど。恋人同士で「先生」はないよね?
普段は……凛とした佇まいも、ちょっときつそうな顔の印象も「麗華さん」……っていうかんじ、だけど。僕がキスしたり、抱きしめたり、恋人らしいことをするたびに見せてくれる素顔は……
(ほんと……かわいいね、れいちゃん)
不機嫌、と書かれた頬を指の背で軽く撫でれば、ぴくり、と唇の端が動いた。
「ずるい。」
「そう、ですね。」
文句ひとつをとっても、愛おしくてたまらない。だって……世界経済や政治論議は僕でさえついていくのがやっとなくらい饒舌なのに。
「…ひどい。」
「うん……そうですね。」
(舌ったらずになってるって…本人は気づいてるのかな?)
「いたいっていってるのに!」
「……ごめんなさい。」
ついつい、くすくす笑ってしまったのを見咎められ、きつく抗議されてしまった。
(れいちゃん。)
僕が密かに胸の中で呼んでいた、この呼び方であなたを呼んでも、いい?
おおっと……その前に。この中途半端な状況を何とかしなくちゃ。
「でも。ここで止めるわけにはいきません。」
痛いのは、あなたが…初めて、だからですよ、誰とこうなっても最初は痛いんです、だから。
「僕に、任せてくださいませんか?」
いつもキスひとつで固まってしまうその純情さと裏腹というか、いや、だからこそ、の素直さなのか……組み敷いた体は、これが初めてにしては、敏感な反応だったと思う。けれど……きっとその反応に気持ちがついていっていないのだろう。毛を逆立てている猫のように、腕の中で不安そうな表情のままだ。
(そんなに、怖がらないで)
確かに、不安、なんだろうね。でも僕は……あなたが全部欲しい。人見知りで、感情表現が不器用なのにストレートで、寂しがり屋で情に流されやすくて責任感が強いあなたが好きだよ。
『くまちゃんは、ままがみつけるからね』
今日はじめて知ったもうひとつの顔…………柔らかな声には愛が溢れてた。あんな風に、僕のことも呼んで? こうしている時だけでもいい。先生と生徒という関係は捨ててしまおう……僕、の……愛する……
「……れいちゃん」
思い切って口に出してみれば、かわいくって愛しくって堪らない気持ちに拍車がかかって……その想いのまま思い切りぎゅうっと抱きしめると、腕の中で細い悲鳴があがった。
「…ぃ………っ…た…ぃ」
「……かわいい……れいちゃん……」
「や、ぁ。」
「れいちゃん、も、だめですか?」
「……じゃ、なく……てっ」
「ん?」
「…あっ……」
きゅう、と僕自身が締め付けられる感触に、やっと事態が飲み込めた。切なげに眉根を寄せ、自然と零れ落ちる甘い声。本当にもう、かわいくてかわいくて……もっと……啼かせたくなる。きれいに弧を描いて撓る背中の下に手を差し入れ、腰を掴んでさらにぐいと先に進め。あまり激しくならないようにゆっくりと抽迭を始めると同時に、少しでも快感を得てもらおうと一番敏感なところも指で擦れば。
「…はっ…あっ…あ……ん……やぁ……」
途端にさらに甘さを増した声が上がり、ふるり、とその体が震えた。
「ちょ…っ、れいちゃん?……っく」
まさか、とは思うけど……どうやらすでに2度目の頂上に辿り着いてしまったらしい彼女に、きつく締め付けられて思わずこちらも声が零れる。
「……んっ………ぁ……っ」
「う……まじで、きつい、っんだけど……」
「……ぅ……」
「ね? もうちょっ……っくぅ………っ」
いや、マジにヤバイ。こんな調子じゃ、情けない最短記録更新か?と妙な汗をかきながら、あまりの快感に飲み込まれるのを何とか踏みとどまろうと必死になっていた僕の頬に、遠慮がちに触れる、少しひんやりとした指先を感じて視線を上げた。
「……ご、め…………ね」
いた、い……?真っ赤な顔で、そう遠慮がちに上目遣いなのが……またまた僕の雄を刺激するんですが。どくり、と脈打つ自身を感じて、ああもう仕方ないな完敗だ天然に最強ってこういう人のことを言うだろうな、と敗北感いっぱいで無理やり納得しながらも、あれ?と何かに引っかかる。
「えっと……いたい、って、?」
「だからっ」
真っ赤な顔をさらに赤くさせて言い淀む、彼女。真意がすぐに伝わらなかったのが悔しかったのか、単に恥ずかしいだけなのかわからないけれど、軽く噛み締められた唇に、頼りなげにゆれる瞳がますますそそる。
んー?
いたい、って……確かに相当痛いだろうなぁ、うん。出血もするんだし。
だけど。……なぜに疑問系?
あーあそうか。疑問、ってことは、僕への質問か。…だとしたら、痛い?……って僕が?
何で?僕が……?
あーーっ!!!
いや、まさか、そこまで……何も知らないとは。驚きを通り越して感動すら覚えてしまう。
「あの、ですね、せん…………じゃなかった、れい、ちゃん?」
もしかして、あなたと同じくらい僕も痛いんだと思ってます? 突然の僕の説明口調に恐る恐る彼女が肯いて、僕の仮説は証明された。うわ……本当に天然記念物というか、国宝級というか、世界遺産かもしれない。冗談抜きで。こんな状態で説明することじゃないけど……やっぱり正しい知識は必要でしょう、そう腹を括った。
「…えとですね、初めてのセックスで痛いのは、女の子だけなんですよ?ほら、ロストヴァージンって言うでしょ?女の子の初めては、トクベツなんですよ、男の僕はとにかく気持ちがいいだけなんです、っていうか、正直、あんまり気持ちよすぎて困るくらい気持ちがいいんです」
(すでに……1回目、果てちゃったくらいね。)
男としてはかなり恥ずかしい事実だけは告げないまま、かなりはしょった説明を終えた。あー、出血のこととか言うの忘れたけど…ま、それはあとでいいか…とか思いつつ、れいちゃんの反応を伺えば。
「そ……なんだ」
ゆらゆら揺れていた瞳に、明らかに安堵の色が広がっていく。
「よかった……」
そう呟いて。はにかみながら瞼を落とした。
その笑顔があまりに優しくて……きゅう、と直に手で掴まれたように、僕の心臓は痛んだ。