(2)
父の会社のクリスマスパーティーに厭々ながらも出席したのは、水面下で暗黙の了解として決まっている次期社長としての義務感もあったけれど。デートの誘いをまたもや麗華先生に断られた腹いせに、ここで誰か適当に見繕ってお持ち帰りでもしてやろうか、という魂胆があったからで。
「あーあ、また新記録更新しちゃった……これで65回、か」
当たって砕けろ、とは言っても。砕けすぎでしょ。余りの数の多さには、我ながら眩暈がする。
これまで、あらゆる形でデートに誘ってきたけれど、契約書で禁じられているから、という決まり文句つきできっぱりと断られ続けて早3ヵ月。
これまでにたった一度きり実現したデートだって、僕の第一志望校、つまりは彼女が通う大学の学祭を、学校見学をかねて案内してくれただけ。しかも、事前に僕の母親から許可までとる律儀さ。
鉄壁のガードを誇る彼女からは、未だに住所も電話番号も聞き出せないまま。
そんな……真面目なところも好きなのだけれど。そろそろ……健全な男の子、の僕としてはイロイロと我慢の限界で。麗華先生と出会うまではそれなりに遊んできていたから、余計に、なんだろうけれど。実は、相当煮詰まってきている。
「はぁぁ……毎度毎度、………くだらないお世辞ばっかり」
来賓のつまらない挨拶にうんざりしつつも、顔には上辺の微笑を張り付かせたまま、誰にも聞きとがめられない程度にそっと呟いてみる。いくら退屈でも、こうやってひな壇にいる以上は。
業界5本の指に入る宣報堂の社長である父の顔を潰すような振る舞いは慎まなければならない。
これまでは、着飾った女性陣の中から自分好みの女性を物色するのになかなか好都合のこういったパーティーの類は、決して嫌いではなかったのに。
ついつい似た面影を探してしまうくらいには――彼女の不在が、心に穴を開けているのを感じている。
(やっぱり、平日は毎日にしてもうらおうかなぁ。家庭教師)
それともいっそ、住み込みとか。ああ、それは我ながら良い考えだ……そうしたら学校以外の時間はずっと先生と一緒にいられるよね、などと暴走を始めた脳とは別に、会場全体から寄せられる視線に合わすでもなくかわすでもなく、無難なところに合わせていた焦点が、人でごった返すパーティー会場の中、ホテルの従業員の制服を着て忙しなく動き回っている小柄な姿を捉えた。
「……あ、れ…は……」
(麗華先生、だよね)
その小柄な女性は、僕の家庭教師にして(一応)恋人の、望月麗華先生だった。思いがけない場所で、愛しい人の姿を見つけて、ついつい自然と口元が綻ぶ。アップに纏めた髪型も、上品に仕上げた薄化粧も、とても似合っていて。
――すごく……素敵だ。
さらに、何よりも僕を上機嫌にさせたのは、彼女の耳に光る金色のピアスだった。
今から3ヶ月前、ほとんど無理やり強請って奪ったファーストキスの後、こちらもまた強引に言いくるめてやっと実現した――たった一度きりのデートの日。
『先生も、僕のこと、好きでしょ?』
『……私…は………男の人と付き合うとか、恋愛とか……考えたことも無…………っ…んっ』
ねだって連れて行ってもらった、人気の無いゼミ室……腕の中に囲って、やんわりと唇を奪えば、震えながらぎゅっと僕のシャツを握り締めてきた。
『でも、僕にこうされるの、嫌じゃないんですよね?』
真っ赤な顔で、困りきった表情で。動くたびにぱさぱさと音を立てる濃く長いこげ茶色の睫毛。その根元にそっと唇を寄せながら、僕のこと、好きですよね? もう一度ダメ押しに囁けば、遠慮がちに微かに首を縦に振る仕草で肯定してくれた。そして、帰り道にたまたま見つけて「恋人同士になった記念」にと、気まぐれにプレゼントしたピアス……小さいけれど精巧な薔薇を模した作りがなかなかの出来栄えのそのピアスを、こうやって、僕に会う予定のなかった日にもつけていてくれている、という……たった、それだけのこと、なのに。
退屈なパーティーが、灰色の情景が、途端にぱっと明るい色に変わってしまうほど。
(……嬉しい)
僕にこんな想いをさせるのは、あなただけなんですよ?
「れいか、せんせい…」
父に付き合って次々と客たちとあいさつを交わし、適当に会話を続けながらも。視線の端には、こちらには気づきもせずに、すいすいと優雅に人波を縫って移動しつづける彼女の姿を追いかけて。その忙しく立ち働く姿を遠くから観察した。
そして僕は、気がついた。
……ある男と、麗華先生が、時折親しげに言葉を交わしているのを。
会場のご婦人方が、時折熱い視線を送るくらいには整った容貌の、日本人にしては長身の男。先生と同じようにここのホテルの制服を着て、銀のトレーを持って軽快に人波を掻き分けながらグラスだの皿だのを運んでいる。
その合間に、先生と短く言葉を交わしている、のだけれど。
いつも僕の前では、奥歯を噛み締めて、何かに耐えているような顔をしているか、どことなく悲しげな今にも泣きそうな顔をしている麗華先生なのに。
自然体で、明るく笑う貴女なんか……僕は、知らない……。
「……どう、して……?」
僕の前では一度も、その笑顔を見せてくれない? どうして……そんな男の前で、無邪気に、楽しげに、笑ってるの?
見たこともない麗華先生の表情に釘付けになると同時に、胃の辺りがぐっと重たく締め付けられるのを感じて、思わず下唇を一瞬噛み、視線が険しくなったことを感じる。
(もしかして、麗華先生、は……あの男のこと、が……好き、とか?)
突然閃いた洞察に、続いて湧き上がって来たのは、強烈な嫉妬心と……怒りに近いくらいの、哀しみ。
「…っ!!」
そんな黒い感情に押しつぶされそうになりながらも、ずっと離せずにいた視線の先に、ごく自然に先生の手首を握って会場の外へ向かうその男の姿を捉えて、僕は思わず絶句した。
うつむき加減の彼女は、従順に為すがままになっていて。
一瞬、目元を擦ったその仕草がまた、幼げで。普段と違う可愛らしさで。
足元から……力が、抜けていく……。
ねぇ。先生は、そいつのことが好き? だから? 僕の誘いよりもこのバイトを優先したかった?
だから……今まで、僕からの誘いをことごとく断ってきた?
だから、なの? 僕には連絡先の一つも教えてくれないのは?
不覚にも、視界が潤みそうになって。必死に自分で自分を律する。
いや、まだだ。
……まだ、そうと決まったわけではない、じゃないか。
あのピアス……他の男からのプレゼントを、好きな男の前で、あの人がするはずがないじゃないか。
そうだ。そうだよ、うん。
今にも全身が震えだしそうな嫌な感じを必死に耐えながら、とにかく……あらゆる可能性を考えて、状況をシミュレーションして。頭をフル回転させる。
「……よし。」
ようやく満足のいく計画を弾き出した僕は、先生と男が無事に会場に戻ってきたのをちらりと確認すると、計画を実行するために動き出した。
「ね、詩織ちゃん、あのさ、」
「え? なぁに? 貴史お兄ちゃん?」
ちょっと急用を思い出しちゃって、僕は先にこっそり帰るから、父さんに言っておいてくれる?……わざとらしく暇を告げても、まだまだお子様な我が従妹殿は、邪推してくるようなことがないのが有難い。
「せっかく、貴史お兄ちゃんの為におしゃれしてきたのに〜ぃ!」
「ごめんごめん」
「じゃあ、今度遊びに来る時は、シェ・カトーのケーキ10個ね!」
「10個も?そんなに食べたらお腹、壊すよ?」
「いいの!大丈夫なの!だって、育ち盛りだもん」
それに、そしたらお友達も呼ぶんだもん、そう言って口を尖らす彼女に、了解いたしました、じゃ、あとはよろしくね、そう軽く笑って。
父が悪友と釣り談義を始めたのをきっかけに、僕はそうっと会場を抜け出した。
「さぁて。パーティー終了まで、あと1時間弱、か。」
ま、何とかギリギリかな。誰にともなく呟いて。
腕時計で時間を確認しながら、僕はエレベーターを目指して歩き出した。