The first encounter


(5)





「たかふみ…く、ん……どうし、て?」



――騙され、た?

 お父様のことは、この部屋に導くための口実だったのだ。そう気づいたのは、やさしく後ろから抱きしめらてきた彼の腕が、少し震えていたからだ。きっと彼なりに……いろいろ考えた末、思い切った結果なのだろう、と直感した。恋人と口では言いながら、先へ進むことを拒絶するような私の態度に耐えられなくなってきていたことはわかっていた。

 だから………どうして、と口では疑問を投げかけつつも、本当はもう、その意味などわかっていた。密着した体からもたらされる体温は、やさしくて……安心する。そして。このぬくもりに包まれていられさえすれば、何もかもどうでもよくなってしまっている自分に気づいて、苦笑した。

 けれど、貴史君のとった行動は予想とは違っていて、

「あの、余計なことだったかもしれませんが、着替えをご用意させていただきました」

 背中越しにそう言って、彼はベッドカバーの上に広げられていたオフホワイトのミニドレスを指差した。ハイウエストですとんとしたシンプルな形。切り替え部分にはパールとビーズで刺繍が施されており、それがベッドサイドの灯りを受けて輝いている。

「……これ、を、私に?」
「はい。今夜のパーティーで、先生に着ていただこうと思って、ご用意させて頂いていました」
「……もしかして……それで………?」

 密かに期待したことと、彼の意図するところが違っていたことを知り、顔が熱くなった。

(変な期待を……してしまった)

 穴があったら入りたい気分で嫌な汗が額に滲んだが、幸いなことに彼はそれを気づいていない様だ。助かった。

「着てみて、いただけますか?」

 そう問いかけてきた声は、いつも通りに穏やかで落ち着いていた。よく見れば、ドレスの隣には、それに合わせたバックとミュールもきちんと揃えられており、どちらも手の込んだビーズの刺繍がいかにも高価そうに見える。

(ああそうか。いつも割とすんなり諦めてくれる彼が、今回ばかりはしつこく誘ってきたのは、このせいだったのか)

「……ごめ………」

 せっかくの好意を無にしてしまった申し訳なさと、それならば先ほどの会場で彼の隣に立っていたのは自分だったかもしれないのだという事実に、少しの悔しさと安堵を感じ。思わず謝罪を口にしかけたところで、

「謝らないでください。お仕事だったんですから」

 ね?と……私の大好きな、少し掠れたテノールの声で軽く制された。

「でもほら、結局、着ていただける事になったんですし、」

 私からの返事がないというのに、そんな風に言い切る彼の声は嬉しそうだ。後ろから抱きしめられたままの体勢だから、その顔を確認することができないが――切れ長の瞳がきらきらと輝いて、薔薇色の唇の口角をきゅっと上げて――きっと嬉しそうに顔を綻ばせていることだろう。

「今日のパーティー、厭々でも出席することにして本当に良かった」

 とても嬉しいです……穏やかに言い終わるのとほぼ同時に軽く頬にキスを落として、貴史くんは腕の拘束を解いた。先ほどから、彼が話すたびに鼓膜が暖かな息と声でくすぐられて、その刺激に背筋が妙な具合に粟立って、正直困っていたのだが。

 彼が離れた途端に感じたのは――泣きそうになるほどの、喪失感だった。


 もっと……ずっと……そのまま抱きしめていて欲しかった。
 彼の温もりを感じていたかった。

 けれど。

 それを、自分から求めるわけには……いかない。
 どうせ期限が来れば終わりになるだけの関係だと、わかっているから。
 別れの傷が、少しでも軽く済むように。
 振り返った時に、あの女は「家庭教師代欲しさに、彼からの誘いを断らなかった」ただ、それだけだと彼が納得できるように。いわゆる「金目当ての関係」だったのだと……そんな、「ずるい女」だったのだ、と軽蔑できるように。

 私の想いは、曖昧でいい。
 否、私の本心など……決して……届いてはいけない。

 だが、その時が来るまでは。隣に、いたい。
 彼との未来を求めることなど、愚の骨頂だとわかっている。
 けれど、ただ。彼の隣にいる権利だけは、誰にも奪われたくない……今だけで、いいから。
 週に数時間の「恋愛ごっこ」でいいから。

 鼻の奥がツン、とし始め、私はほとんど習性のように奥歯を噛み締めた。そんな私には全然気づかない彼は、ドレスを片手に先に立って歩いて行く。



「着替えには、ここのバスルームを使っていただいて構いませんから、」

 どうぞ?と満面の笑みで。有無を言わさず、私を洗面所兼脱衣所に押し込めた。ぴかぴかに磨き上げられた鏡に、こんな高級ホテルには場違いな私の姿が映る。

「お仕事で汗をかいたでしょうから、よろしかったらシャワーも浴びてくださいね?」

 お店の方に頼んで、一応、下着とかも一式用意していただいたんです、あ、その、脱衣かごに入ってるのがそうです、先生、僕覗いたりしませんから、安心してくださいね、あの、なんだったら廊下に出てますので、着替え終わったら呼んで下さい――そんな事を扉越しにさらさらと捲くし立てられ、本当にパタンと表のドアが閉まる音がして。

「え、ちょ、っと、貴史くんっ」

 顔を出して様子を伺った部屋に人影は無く。
 本当に、彼は部屋を出て行ってしまったらしかった。


「仕方ない、か」


 冬場ということもあって、大して汗はかいてないけれど。
 どうしても厨房やら裏方独特の臭いが体に染み付いているようなのが……せっかくのドレスに申し訳ない気がして。

 私は、シャワーのコックを思い切り捻った。










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