The first encounter


(9)





 気がつけば身に纏うものはひとつもなく――あまりの頼りなさに、ベッドカバーを手繰り寄せようとしたが、きつくマットに敷きこまれていてあえなく失敗した。次善の策で横を向いて四肢を縮こまらせて何とか凌ごうとした体の上に、ふ、と熱を感じたと思えば、あっという間に両足の間に彼が体を滑り込ませてきて。これから、とうとう…………始まるのだ、と直感的に理解した。

(大丈夫、大丈夫……誰でも……していること、だ。)

 保健体育の授業で聞きかじった知識以上のことは実際よくわかっていないけれど。私だって。結婚は無理でも、せめて普通の恋人らしいことくらいしても罰は当たらないと思う。もちろん彼の親にばれない様にすることが大事なのは言うまでもないけれど。


「いっ…………た……………っ」


 熱いものが宛がわれたと感じた次の瞬間に加えられた容赦のない痛みに、息が詰まった。その瞬間、胸に浮かんだのは。

(……ママ…イ……)

 実は……私には秘密の記憶がある。

 閉じた瞼の裏に幻影が浮かぶのは、ファベーラと呼ばれるスラム街の、粗末な部屋。ベッドの軋む音。男に春を売る女の嬌声と、絡み合う裸身。男の顔も女の顔もわからない。けれど、あまりにあっけらかん、としていた、と思う。罪悪感の欠片さえみえないその姿を……まだその行為の意味など露ほどもわからなかった、そのころの私は、じっと見詰めていたようだった。そして、その女性とママイ、という単語は私の中で、イコールの存在となっている。

『お前は、ママイにそっくりだな。』

 たった一度だけ、そう言って苦く笑った5歳違いの兄。言われた時は、その本当の意味がわからなかった。ママイ…ポルトガル語でお母さんという意味だが、その時私はなぜかそれを何かの名前だと勘違いしていた。けれど……何か引っかかるものがあったのだろう。ずっとその一言が気になっていた。

 そして最近、ごく断片だけ……思い出すようになってきたのが、その女性の姿だった。ベッドの場面以外にも、料理をしている後姿とか…手を繋いだ感触などが、時々……ふいに脳裏をよぎるのだ。


「痛ぅ……っ」


 ほんの少しだけれど、彼が後退したのは、もうこれで終わりなのだということか、と思えば……再びぐっと押し入られて。焼けるような痛みに、全身が硬直するのがわかった。

 それにしても。セックスというのは、こんなにも痛いもの……なんだろうか?
 そういう話をすることはもとより、そういった情報さえ、どちらかというと積極的に避けてきたため、これが正常なのかどうかさえわからない。

「せんせい………… だいじょう、ぶ?」

  痛みと酔いとでぼうっとしていると……先ほどまでの勢いはどこへやら、いつもの落ち着きを取り戻した、というより――珍しくも若干情けなさの漂う――彼の声が聞こえて、ああ、やっとこの拷問のような痛みから解放される、と安堵した。

 けれど熱を持った彼の体は離れていくどころか、私を腕の中に抱き込むように密着してきて。

「……ごめん、なさい」

 すっかり意気消沈しているような声。それに。のしかかってきた体は着衣で見るときよりもずっと意外に筋肉質なのがけっこう重くて、苦しい。もう…わかったから。謝るよりも早く私の上からどいて、この痛みを終わらせて欲しい……思わずそう願った。けれど、何となく口に出すのも躊躇われて我慢していたが、次に耳に届いた彼の言葉に私は衝撃を受けた。


「あの……もしかして、すごく……痛い、ですよね?先生……?」


(は?痛い、ですよね、って……?)

 まさか……彼は知ってて?…………はじめから、知ってて…私を、こんな酷い目にあわせた? 好きだとか、愛してるとか、会うたびに言われるそれは単なるリップサービスで……本当は。本当は……こんなひどい目にあわせて平気なほど、私なんかどうでもよかった、とか?いやでも、ちゃんと謝ってるし……

(ああそうか。)

 彼の想像以上に私が痛そうにしたから、びっくりしてしまったのかもしれない。そういえば……どこかで「体の相性」がどうとかこうとか聞いたことがある。もしかして、こんなに痛むのは相性が最悪だからなのかもしれない。
 だとしたら、やはり……彼とは縁がなかったのだ。所詮、人種だって違うのだし。……もしかしたら…私みたいに毛並みの違うのが珍しくて……単なる興味本位だったのかもしれない。

 そうだ、大体、こんな愛想もない……満足にキスに応えられもしなければ甘い会話よりも、世界情勢だとか株式市場の現況だとか政府の経済政策だとかを滔々と語る女……なんか。

(全然、可愛くもないし……好きになるわけ、ないじゃないか)


 『さあ、今日から僕たち“恋人”ですからね』

 あの日、確かに彼はそう、言った。けれど、本当は好きでもないくせに、こんな……恋人ごっこを、臆面もなく仕掛けてくる、なんて……本当に性質が悪い。記念にもらったピアスを、夜寝るとき以外は肌身離さずつけてる自分が、馬鹿みたい、だ。


 年下のクセに。高校生のクセに。生徒のクセに。
 こんな風に私を振り回すなんて……生意気、だ。


――ぐるぐると、落ち着き先のない思考に捉われているうちに。


 なぜか無性に腹立たしくなってきて、頭上20センチくらいの距離にあった顔を、きつく仰ぎ見た。


 視界を捉えたのは、漆黒の瞳に心配そうな気配と若干の余裕を湛えた表情の、年下の、男。
 なんで。なんで。なんで。
 そんな余裕のある顔で……こんな風に組み敷いておいて……先生、だなんて……呼ぶ?
 こんな……一大決心をして……本当はカラカワレテイルダケカモシレナイノニ。馬鹿みたいだ。いや…馬鹿、だ……私は。なのに…どうしようもなく、目の前の彼が好きで。苦しい。


「先生、っ……なん…か、じゃ……っ…な……い…っ」


 思わず口から飛び出した言葉には、自分でも驚いた。……だけど、それは私の本心。そうだ……今夜だけでもいい。……先生と生徒という関係は忘れて、私を……私自身だけを見て欲しい。










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