The first kiss




「先生?――どうしたんですか?」
にこやかに笑いかけ、
「ちゃんと、お約束通り、全教科パーフェクトですよ?ほら」
震える手に、中間テストの結果を握らせる。
「ね?」
麗華先生?わかってますよね?
「…………。」
じっと小さな紙切れを見詰めて、少しうつむき加減になった顔につられて、長い茶色の髪が一房、さらりと肩をこぼれ落ちた。
「だから、先生も、ちゃんと約束守ってくださいね」
きっ、と上目遣いで見詰めてきた瞳は、挑戦的なのに。
噛み締めた唇も、その手と同様に震えていて。
「せっかくですから、ここ、にお願いします」
人差し指で唇を示せば、瞳にはこれ以上ないほどの困惑の色が揺れる。
「どうぞ」
遠慮しないで?
観念したのか、そっと瞼を伏せて近づいてくる顔に、ついつい口元が引きあがった。
音も立てず、ただ触れるだけのキスをしてきたその顎を両手で固定して。
今度は此方から、ちゅ、と音を立ててキスを仕返せば、びくり、と身を竦ませて固まってしまった。
それをいいことに、何度も続けて啄むようなキスを贈る。
その間も、かちかちに固まった身体はそのままで。
「……せん、せい?」
どうしたの?だいじょうぶ?
そう呼びかけたのは、目尻から零れ落ちていった雫に気づいたから。
「…………。」
何も言わないまま、必死に泣き出すのを堪えているらしい姿がいじらしい。
本当は、4つも年上のあなたを……ちょっと困らせてみたかっただけだった。
これだけ美人なんだ、きっとすごくモテて、恋愛経験なんかも豊富で、キスくらい、さらっとしてくれるんだろう、と思っていた。
約束を交わしたときだって、平然として顔色一つ変えなかったし。
だから。
だから、こんなことになるとは、まったくの予想外。
その様子があまりに可愛らしくみえて。
気づけば、思い切り、抱きしめていた。



「ごめんなさい」
胸元から響いてくる嗚咽に、思わず謝罪の言葉を零せば、ゆるやかに、でも確かに首を横に振る気配。
いや、だって。
半分脅すように、約束をさせたのは僕だし。
だけど。
「そんなに泣くほど……僕とキスするの、嫌だった?」
ついつい、詰ってしまったのは……実はかなり凹んでいたせいだと思う。
だって、初めて会ったときから、僕は……
僕は、先生を一人の女性として、とても意識していたから。
そう、一日中、先生のことが忘れられないくらい煮詰まった挙句の、この取引だったんだし。
「……ちが……ぅ」
もっと僕の腕の中に潜り込もうとでもするように、頭を擦り付けてきた先生が小さく呟いた。
「違うの?じゃ、どうしてそんなに泣いてるんですか」
理由を教えてください。
「……理由、は…ない」
「ない?」
ないわけ……ないでしょう?
「もう、離して」
「嫌です。ちゃんと教えてくださるまで離しませんから」
そう宣言した僕は、身動ぎさえできないくらい思い切り腕の力をきつくした。
しっかりと密着したせいで、その華奢な骨格と意外にも豊かな胸の膨らみをたっぷり堪能する羽目に陥ってしまい。
とたんにやばい部分が反応を始めて、背筋を冷たいものが駆け抜けた。
でも。
教えてくれるまで離さない、といった手前、そうやすやすと拘束を解くわけにはいかない。
そのまま……どれくらいの時が経ったのだろう。
(あーもー、早く言っちゃってください……お願いですから)
そんな僕の心の声が通じたのか、蚊の鳴くような小さな声がぽそぽそと胸元から聞こえてきた。
「え?」
あの……全然聞こえなかったんですけど?
「……キスなんて初めてしたっ、てっ、言ったっっ!」
吐き捨てるように言われた声音とその内容が一致しなくて、一瞬、ぼうっとしかけたけれど。
もう理由を言ったんだから離して、そう言って見上げてきた顔が真っ赤で。
「先生……かわい……」
無意識に呟いて、腕の力を緩めれば。
先生はぺたり、と、その場に座り込んでしまった。





**********





「んふふふ……」

――恋人の細い腰に腕を回し、後ろから抱え込むように抱きしめつつ、
   脂下がった笑いを隠そうともしない男が、ここに一人。

「なに……その笑い。……気持ち悪い」
「ほら、だって今日は6月6日でしょう?だから、です」
「あーあの、悪魔が何とか、いう映画の公開日……」
「違いますって! いや、映画の話は合ってます。合ってますけど。
 も〜〜〜、れ〜いちゃ〜ん〜〜ってば、わざと言ってません? ほんと冷たいんだから」
「……何を今さら」
「だって今日は大事な記念日なんですよ……二人の」
「それで、わざわざこんな?」
「そぉですよ!」

ああ、それで。
昨日も今日も平日だと言うのに……こんな、某有名テーマパーク内の豪華ホテルの、
一泊ン十万もするスイートに泊まる破目になったのか。
それにしても、こういう贅沢を好ましいと思えない、女としては非常に捻くれものの私のために、
わざわざ1つつランクを落とした部屋をキープしてくるところなど、本当にソツがないんだ。
この、4つ年下で元教え子の、お坊ちゃまは。

「……それにしても、」

記念日って、何かそんな特別なことがあっただろうか、6月6日、に?
七夕は、来月だし……うーん。

「もうっ。……覚えてないんですか?」
「私は数字を覚えるの、苦手……っ………ん、んっ…!?」

くい、と顔を横に向けさせられ、いきなり深いキスを仕掛けられ。
あっという間に舌を絡め捕られ、容赦なく弱いところを舐られて身体が震える。

普段は馬鹿丁寧なくらいなくらい、紳士的というか……まるで召使にでも傅かれている気分になるほどだというのに。
こういう時は本当に遠慮が無いと言うか、手が早いと言うか。
呆れるほどの手練手管を発揮して、翻弄してくるから油断がならない。

まあ実は、そのギャップを密かに気に入っている、と言うのは本人には内緒、だけど。
調子に乗せると、すぐ暴走するから要注意なんだ……この、一見ヘタレの、真性S男は。

あ。

「んんんんっ!!(あああっ!!まさか……)」





**********





あれは確か。
私が「彼」を教え始めて初めての、中間テストが始まる前の週のことだった。
「先生、ひとつお願いがあるのですが」
向けられたその視線は、むしろ冷ややかなほどの強さで、至って冷静な声で紡がれた「お願い」という言葉は、どちらかといえば命令に近いらしい……。
そんなことを本能的に感じつつ、
「改まって、何?」
嫌な予感には気づかない振りをして、こちらも冷静に返した。
「今度の中間テスト、全教科パーフェクトでしたら、ぜひ先生からご褒美を頂きたい、と思うのですが」
「ご褒美……?」
片方の口角をくっと上げながら発音された、その“ご褒美”という言葉に、何ともいえない……背筋がぞくり、とするような感覚に襲われた。
できればこのまま、その内容を聞かずに逃げ出したい気分……。
「ええ、そうです。」
にっこり笑った顔は年相応に幼い気もするけれど。
「キス、して下さいませんか?全教科パーフェクトを取れたら」
言われた言葉は、予想外というか、いや、もしかして……という予感通りだったというべきか。
正直、どちらとも判断がつかないけれど。
「やっぱり何か見返りが合ったほうが頑張れるものじゃありませんか、人間なんて」
それは確かに正論だけれど、なぜその褒美がキスなんだ?とか、大人をからかうのはよしなさい、とか、ほかに思いついた言葉はあったのに。
「…………わかった。」
ただし、本当にパーフェクトだった場合に限る、と気づけば口にしている自分がいた。



その挙句が、コレか。
内心、盛大な溜息を吐きながら、手渡された中間テストの個人結果表を、今、信じられない思いで見つめていた。
完璧に、同じ数字の並ぶ……常に学年1位を貫いてきた自分でさえ、稀にしか見たことのなかった全教科パーフェクト、という結果を突きつけられて。
本当ならば、“家庭教師”としてここは一緒に喜んであげるべきだろう、もしくは労いの言葉の一つもかけてあげるべきだろう、とか思う。
思いはする、が。
彼が“ご褒美云々”を言い出した時点で、もしかして……最初から仕組まれていたことなのではないだろうか。
そんな穿った見方をしたくなるほど、目の前の若干17歳の教え子は、落ち着きはらっている。
こちらの動揺がかえって不自然と思われるほどには。
「先生も、ちゃんと約束守ってくださいね」
ダメ押しのように、約束という言葉を持ち出して実行を促してくるのが憎たらしい。
そんなこと、わかってる。
わかって、いる。
彼が想像しているであろう「年上の、経験豊富な女」らしく、ここは平然とキスのひとつくらいしてみせればいいだけだ。
別に、減るもんでもないのだし。
けれど。
複雑な思いに、体が震えるのが止められない。
噛み締めた奥歯をうっかり緩めでもしたら、途端に泣き出してしまう自信がある。
訳の分からない感情に苛まれている私など気にもしない様子で、
「せっかくですから、ここ、にお願いします」
そう言って、人差し指で、少し薄めの、血色の良い唇を示され、どうぞ遠慮しないで?そう促されて万事休す。
もう、だめだ、逃げられない。
場所が場所だけに、ひどく恥ずかしいけれど、ブラジルの親戚とあいさつする時のことを思い出せば大丈夫だ……ろう、きっと。
いつまでもグジグジしているのは自分らしくない。
観念して、 軽く触れるだけのキスをして離れようとした瞬間、両手でやんわりと顔を固定され――驚いているうちに――今度は彼のほうから、ちゅ、と音を立ててキスをしてきた。
まさかそんなことになるとは想像していなかった私が、思わず身を竦ませて固まってしまったのをいいことに。
時に羽が掠めるように優しく、時に唇の表面同士を擦り合わせるように、啄むように……
数え切れないほど何度も、いろいろなキスを仕掛けられ。
とうとう感情の堤防が決壊した。



初めて会ったときから。
なぜか……彼の傍に居るだけで、胸の鼓動が乱れる瞬間があるのが、不思議だった。
私とは対照的な、白い肌、きれいな黒髪と漆黒の瞳。
すっきりとした整った、どちらかというと和風の顔立ちと、高校2年生にしては大人びた雰囲気の……木村貴史、という、私の教え子。
こうやって異性を意識する、などということは記憶の中を探ってみてもどこにも見当たらず。
なぜか今頃(二十歳を過ぎて)……初めて人並みに「恋心」というものを異性に対して抱いたらしい、と、自己心理を分析して導き出された結果に、人知れず動揺していた矢先の、この仕打ち。
だめだ。こんな態度では、不審がられるだけだ。
落ち着かなければ……そう焦るほどにせりあがって来る感情で胸が痛くて。
とうとう目尻から熱いものが零れ落ちてしまい、
「……せん、せい?……どうしたの?だいじょうぶ?」
そう優しく呼びかけられて、もう限界だった。
今まで誰にも、泣き顔なんて見せたことはなかったのに。
いつの間にか抱きこまれていた胸の中、こんな年下の、高校生に振り回されているなんて悔しい、と思うのに。
恋人のような甘いキスで、すっかり心のどこかが緩んでしまったらしく。
混乱する気持ちが、次々と雫になって零れ落ちていく。
「ごめんなさい」
ぎゅっと強く抱きしめられ、かけられた謝罪の言葉にとっさに首を振った。
たかがキスくらい。
いい大人が子供に謝られるほどの、ことじゃない。
「そんなに泣くほど……僕とキスするの、嫌だった?」
声の底に見え隠れしている彼の苛立ち。
「……ちが……ぅ」
こんな……つもりじゃ、なかったのに。
こんな、子供みたいにみっともない真似をするつもりじゃ、なかった。
却って子供である彼の方に気を使わせて……
「違うの?じゃ、どうしてそんなに泣いてるんですか」
理由? そんなもの……
「……理由、は…ない」
「ない?」
そんなもの、説明できるわけが……ない。
初めて好きだと思った本人に、まるで冗談のようにキスを強請られて、自分から承諾したくせに、恥ずかしくて切なくて、でもちょっぴり嬉しくて悲しくて、混乱しているなど――口が裂けても教えてなんかやらない。
「もう、離して」
要求されたこと(=キス)はちゃんとしたんだから。
それ以上はもう、勘弁して欲しい。ほんと、お願いだから……。
「嫌です。ちゃんと教えてくださるまで離しませんから」
こちらの要求を珍しく強い口調で拒絶され、もっと抱きしめる腕の力をきつくされてしまった。
身動ぎもできず、ぴったりと体が密着したまま、という危うい体勢で、突如耳に飛び込んできたのは彼の心臓の音。
とくとくとくとく……と、少しだけ早く打つその音を聞いているうちに、だんだん気持ちも落ち着いてきて。
(このまま、ずっと抱きしめられていたい)
そう思った瞬間、自分の思考回路に、驚いた。
だめだ。
早く離れなければ……きっと……きっと……この腕を離したくなくなる。
ここで自分が、しっかり、しなければ。
私は、曲がりなりにも「先生」で、彼は「生徒」なのだ。
彼が大学入試に合格するまでの期間限定で契約した、そういう関係なのだから。
どう言えば、納得してくれるのだろう?
上手い言い訳が見つからない。
ああ、でも早く。一瞬でも早く、この腕から抜け出さなくては。
これ以上の失態をしないうちに……焦っていた私の口は
キスなんて初めてした
知らず知らずに真実を告げていた。
「え?」
やっと何とか頑張って言ったのに、聞き返されて、とっさに頭に血が上った。
「キスなんて初めてしたっ、てっ、言ったっっ!」
もう…理由を言ったんだから、離して、そう吐き捨てるように言ってしまってから。
自分の馬鹿正直さに……思わずガックリと力が抜けてしまった私だった。





**********





――あれから、いつの間にか10年が過ぎ、

こうしてホテルの窓から見える幻想的な景色を、ふたり寄り添いながら眺めている。



「思い出しました?」

ちゅ、と音を立てて目元を掠めていったその唇で、先ほどまでさんざん私を翻弄した挙句、
今は穏やかに微笑んでいる恋人の腕の中。
あの時の恥ずかしさと、複雑な気持ちを思い出した私は、

「Era o momento que eu me apaixonei por voce.」

彼が理解できないことを承知で、あえてポルトガル語で切り替えした。
「ええええ〜〜なんて言ったんですかぁ?」
意地悪しないで、日本語で、いや、せめて英語で言ってくださいよぉ〜、そう言って縋りついて来られるのが実はちょっと快感だったりする。
「最近、なんだかヘタレがデフォルトになってきた?」
「そんなぁ〜〜れいちゃ〜んっ!!」
「……くす。」
ほんと、クライアント相手に颯爽と商談してる姿が嘘みたいな、ヘタレっぷりなんだから。
笑った顔のままで、そっと彼に近づいて。
唇に触れるだけのキスを落とした。
ほら、もう、泣いたりしなくてもキスくらいできる。
滅多にしない、私からのキスに目を見開いて固まっている彼の顔が可笑しくて、もう笑いが止まらない。
「ちゃんと、思い出してくれたんですよね?」
「さぁ?(くすくす)」
「もう、ホント、意地っ張りなんだから」
そう言いながらも。
いつだって……ちょっとした私の意図に気づいてくれる貴方が……

大好き。

「Eu o amo tanto.」

「またまたポルトガル語っ!! も〜〜〜いーですっ!」
僕も、ちゃんと勉強しますからっ。
そう言って拗ねている頬に、もう一度、少しだけ長めにキスをした。
「そうやって煽ったら、どうなるかわかってますよね?」
いいんですね、知りませんよ。
そう言いながら、抱き上げてくるから。
遠慮なく首に両腕を回して、抱きついておく。

「今日は、どんなことでも許してあげようかな」

耳元に囁けば、珍しくあなたが耳まで赤くなった。
すべては今日、ファーストキスから始まったこの恋だから。
今夜は、特別。
今日だけは、トクベツ。










(ブラウザを閉じてお戻りください)


photo by かぼんや



*註*
Era o momento que eu me apaixonei por voce.
   =It was the moment that I fell in love with you.

Eu o amo tanto.
   =I love you so much.

   ……だそうです。
   




ランキングに参加中。(別窓)

いっやぁ〜、ものすっごい激甘。すいません。ほんと……バカップルで。(苦笑)
どうしよう……とか今さらうろたえてもね?
もう、このシリーズはこれでいいんだ♪(開き直りっ)

もしもお気に召しましたら、ぽちっとお願いいたします。(ぺこ)





Copyright (c) 2005-2006 rosythorn All rights reserved.



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送