誰からも、愛されていないと認めるのは嫌だ。
誰からも、必要とされていないと認めるのは苦しい。
ダケド。
そんな現実に凹んでる自分は、もっとイラナイ。
ダカラ……
俺は、俺の手で、自分の場所を掴んでみせる。ゼッタイに。
「あー、ケイ? 俺、」
これから行っていいかな。クリスマスだ、忘年会だと浮かれる人並みが絶えない夜の新宿。公衆電話からかけた相手は、年上の男。ここから歩いていける距離にある高級マンションの一室に住む、今夜の俺の、宿主様だ。
渋谷の街をうろついている時に、声をかけられた。
とても、綺麗な男だと、思った。逆ナンなんて良くあったし、男から声をかけられたことも一度や二度じゃない。ただ、着いて行こうと思った奴はそれまでいなかった。けれど、その男の、黒く澄んだ瞳が、あまりにも綺麗だったから。磁力にでも吸い寄せられるように、その背中を追ったのが始まりだった。
「で、どうしたの?」
「別に。何かなかったら来ちゃいけないわけ」
「そうじゃ、ないけど。……めずらしいな、と思って。ユウジから、連絡くれるなんてさ」
「…………」
ベッド脇の灰皿に吸殻を押付けながら、ケイが聞いてくる。
俺は、重だるい身体を仰向けに横たえたまま、視線を男のそれと合わせた。ああほら、やっぱり。あんたのその瞳は、いつだって澄み切っている。だから、こんなカンケイでも後ろめたさとかを感じることもなく、ただ、いくらでも与えてくれる優しさを受け取っていられる。あなたの隣は、とても、心地いい。
「親父さんに何か言われたとか?」
また学校行ってないんでしょ? くすり、と笑う顔には、咎める気配の一片だってなくて。
「違う」
「じゃ、お義母さん?」
「まさか。そうじゃ……ない、んだ」
ねえ、この前頼んだビデオの販売ルート、まだわからない?
問いかけた相手――沢木圭吾、はそこそこ売れてたアイドルグループの一員から俳優に転向している。しかも所属しているのは大手プロダクション。だからなのか、手に入れる気になれば、いろいろと業界の裏情報を入手することも可能らしい。俺にはそのあたりのことは、よくわからないけど。
「ああ、あれ。」
どうも、素人集団がやっているみたいだよ。捌いてるところがバラバラだし、いわゆる“投稿モノ” として扱われていて、それほど本数も出回っていないみたいだし……これ以上は、警察の管轄じゃないかな。
「そっか……」
「で、どうしたの?」
もう一度同じ質問を、穏やかな声で繰返されて。
言う筈じゃなかった言葉が、零れ落ちた。
「……香、奈が…死…んだ」
ふわ。自分でも驚くほど震えた声は、気づかないまま体ごとカタカタと震えていたせいだったのだけ れど、その震えごと柔らかく抱きしめられて、
「っ………」
思わず嗚咽が止まらなくなった。髪を梳く指が優しい。
ケイは、いつもこうだ。
いつも、俺の感情をやんわりと受け止め、癒してくれる。
実の父親からも、再婚相手の義母からも愛情を得られず、俺は幼い頃から独り、冷たい感情を抱いて生きてきた。生まれてすぐに死んだ実の母親似の、誰からも「キレイ」だと賞賛された顔に、偽りの笑顔を貼り付けて。そうやって、世の中を渡ってきた俺に、居場所を与え、前を向いて歩く力をくれたのはケイだった。今秋、彼が所属している大手事務所に紹介された。今はデビューのために、歌やダンス、演技などのレッスンを受けている。
『何で、なんでだよぉ……香奈ぁ………』
耳に、親友の声が何度もよみがえる度に、奥歯をかみ締めている自分がいる。小学校からずっと、いつも孤独だった俺を唯一支えてくれた、サトル。いつも明るくて屈託がなくて。冗談を言ったり、ふざけたりしては人を笑わせるのが好きな陽気な男だ。そのサトルが1年間の片思いをやっと実らせた相手――橘香奈が、昨日、とあるビルの屋上から飛び降りたのだ。即死、だった。
そのビルは、彼女が今年の夏に、不幸な事件――予備校からの帰宅途中に、テナントが入らず放置されていたその廃ビルの一室に連れ込まれ、数人の男にレイプされた、まさにその場所だった。しかも、その時彼女はただレイプされただけじゃない。その様子をカメラで撮影された挙句、ビデオは市場に出回った。
ビデオが出回っていることがわかったのは、偶然だった。俺たちの仲間(事件のことを知って犯人探しに協力していたメンバーだ)の一人が、たまたま都心のビデオ店で発見して、わかったことだ。
ケイには、その情報網を利用して、販売ルートから犯人を割り出せないかと俺が頼んでいた。また、学生同士の口コミを利用して、いろいろと情報を集めたりしていた。それは、「警察沙汰にしたくない」という香奈の気持ちを尊重しつつも、犯人たちに何らかの復讐をしてやりたい、というサトルの胸のうちを汲んだ当然の成り行きだった。自分たちで何とかしようと、俺たちは必死に走り回った。
でも、その努力も……こんな最悪の形で……無駄になってしまった。
警察に、任せればよかったのか?
もっとちゃんと説得して、傷ついた彼女の心を医者の手に委ねていればよかったのか?
「わからない……わからない……よ」
本当は、どうすればよかったのか……。
ただ、失ってしまったものはもう、戻らない。
どんなに泣いて頼んでも、俺の母親が生き返りはしなかったように。
サトルが愛した、橘香奈は、もう戻らない。
「うん。誰にも、わからないよ……何がよくて、何が悪かったのかなんて」
だから、君は、精一杯、君の人生を生きればいいんだと思うよ。
「君が揺るがなければ、きっといつか大事な人を支えることができるようになる」
「…………」
「今は、わからないかもしれないけどね」
――それでいいんだよ。
ケイの言葉の意味が……このときの俺には、まだよくわからなかった。
とにかく。
このどうしようもない虚しさと、やり切れなさに、潰されたくなかった。
どうせ虚しいこの世だとしても。
否、だからこそ。
俺は、俺の手で、自分の場所を築こうと思った。
誰にも揺るがすことの出来ないような、絶対的な俺の居場所を…………。
「ケイ、俺は、トップになる」
「ん……。なれるよ、ユウジなら……」
期待してる。
そう言ってキレイに笑った人と、同じ瞳に出会うまで、
――あと数ヶ月。
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