The last ...?     (31)








『じゃ、私はちょっと踊ってくるわ。ロブ、…レイのことお願いね』

――悪い虫がたかってこないようにくれぐれも気をつけてちょうだい。鮮やかなウインクと共にそんな言葉を残して、ディーはダンスフロアの方角に消えてしまった。

『アイアイサー』

 敬礼つきで答えた元夫には目もくれずに背を向けた彼女は、この気違いじみた(と私には思える)人ごみにあっという間に紛れてしまったらしい。東京ならば目立ちすぎる、あの長身もブロンドも、ここではすっかり周囲と同化してしまって見分けるのが難しい。

 私も、ブラジルにいれば周囲と同化できるのだろうか……今の、ダイアナのように。余計な視線に耐える必要もなく。ごく、普通の、どこにでもありふれた人間として暮らせるのだろうか。

――私は、この国の人たちの視線が嫌いなのよ!

 そういえば故国ブラジルに子どもたちを置いて逃げてしまった義妹はよくそう言っていたような気がする……



『……レ……イ………レイカ?』
『…え…あ、ハイ?』
『どうしたの?……もしかして、ディーが側にいないと不安?』
『いえ……そんなことはありません』
『だいじょうぶだよ。どうせ30分もしたら、体力の限界だとか喚きながら帰ってくるから』

 そう言って目の前の男が笑った。目じりに数本の笑い皺。優しそうな人だな、と思う。さすがに元夫婦というだけあって、どこかディーに雰囲気が似ている気がする。

『そうなんですか』
『うん。そう。昔は疲れ知らずって感じだったけど。レイ……ディーの後姿を目で追ってる君って、迷子の子猫ちゃんみたいだったからさ。ちょっと心配になっちゃったよ』

 そう言ってさらに笑みを深めた彼は、

『…単刀直入に聞くけど』

 そう言って姿勢を正し、表情を硬くした。じっと見つめてくる空色の瞳は、ディーよりもずっと明るい。一体、何を聞かれるのだろう?やっぱりひとりになんかならなければ良かった。……踊れとか言われるのはもっと嫌だけれど。



『君は、ダイアナのことどう思ってる?』

 はい?一体何を言い出したんだ、この男は。

『どう、というのは?』
『だから…恋人、として……っていうか、ああ、そういえば、そもそも……あれだ。ふたりは恋人……なんだよね?』

 恋人かって……さっきそれをネタにからかってたくせに。

『……たぶん』
『たぶん?』
『だから………』
『あ、ごめん……もしかして、違った?』

 恐らく、客観的に見て私たちの関係は「付き合っている」とか「恋人」だとかに分類される類のものだ。それを否定するつもりはない。たとえそれが世間的には認められない関係だとしても。私にとって、彼女と一緒に過ごした時間はこれまでの人生で一番安らかで満ち足りた時間だから。

『普通に男女間で成立するような関係とは少し違うかもしれませんが…恋人と呼んで間違いない、と思います』

 キスだって、それ以上だってしているし。

『じゃあ、さ』

 そういった彼は、さらに表情に力を込めた。怖いほど真剣な眼差しに、私は思わず目を逸らした。

『君は、彼女を…』


 ダイアナを愛してる?恋人として、愛してる?


『……え?』

 まさか…そんな質問が来るとは思わなかった。……というよりも、他人にそんなことを聞かれる日が来るとは予想もしていなかった。


 そもそも「愛してる」だなんて言葉は、そう簡単に口にするものでもないだろうに………





「……………愛…し、てる……んだ………」

 背中越しに、震える声で彼は呟いた。

「こんな……こと……してっ…信じて……っう……もら…えないっ……かも、知れな……けどっ……世界で、一番……あいしてっ……」

 私を酷く攻め立てながら……涙声で彼は何度もそんな風なことを言っていた気がする。あの時初めて聞いた、彼の涙で滲んだ声を今も私は忘れられない。

 世界で一番愛してる、か……誰かの歌に、そんな歌詞があったような……





『……レイ?』

 訝しげな声に我に返れば、声と同じくらい訝しげな表情の、ロブがいた。

 まずい……いつの間にか現実から遠ざかってしまった。あまりの騒音に思考回路がおかしくなってるのかもしれない。

 それにしても、どうしてこんなにも昔のことばかり思い出すのだろう。しかも…あの日の記憶ばかり……っと、いけない。質問に答えなければ。

『…ええと……それは…』
『それは?』

 思わず口ごもったところを間髪入れずに促されて、思考が再び停止状態になってしまった。

――ダイアナを愛してるのか、否か。

 それは、ここのところずっと……考えてきたことだ。否…それは最初からずっと、浮かんでは消える疑問であり、なかなか出ない答えに考えることそのものを放棄してきたことだった。

 そんなことを、まさか彼女の別れた夫に追及される事態に陥る日が来ようとは。

「今日は厄日か何かか……?」



『え?今、なんて言ったの、レイ?もしかして日本語?!』
『すみません……独り言を。ところで、ロバートさん、貴方はそんなことを聞いてどうするつもりですか』

――答えられない質問には質問で返す。


 これもディーに教わった、こと。ひとつの処世術だ。











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