The last ...? D
がっしゃーーーんっ
はっと気づいた時には、目の前の床をグラスの破片がスローモーションのように飛び散っていた。ガラガラと大きな音を立てて床を跳ね回るステンレスのトレーを何とか掴み……背中ですばやく箒とちりとりを取りに動いた誰かの影に安堵しつつ、せめて大きな破片だけでも、と、大急ぎでグラスの残骸に手を伸ばした。
「……っつぅ………」
よほど焦っていたらしい……知らず力の加減がおかしくなっていて手に破片が刺さってしまった。みるみる赤黒い血が玉をつくり、それが床に零れ落ちて点々と染みを作っていくさまをどこか呆然と眺めた。
「ちょ…っ、望月さんっ」
耳に飛び込んできたのは、カウンターを飛び越える勢いで、いつになく眉間に皺を寄せて厳しい表情の清水君が駆け寄りながら発した声。
「大丈夫? あー掃除はいいからっ、あ、あと、三戸さん、お願い!で、望月さんは、こっち来てっ! ……あー、血………けっこう出てるな、」
「こんなの、大したこと……」
「大したことないわけないだろっ!!」
ことさら声を荒げられて、吃驚した。いつも、営業スマイルだかなんだか、爽やか過ぎるくらいの笑顔のこの……誰にでもどんな状況でも明るい表情を崩さない、同僚が、こんな……
「ちょっと見せて。………破片は、入ってないみたいだけど、」
念のため、そう言って。痛いほど強く手首を掴まれ、ぐい、と有無を言わさない強引さで立ち上がらされた。
「し、清水く、……、い、いたいっ、から、……離し、てっ」
身長差によるストロークの違いで半ば引き摺られるような格好の私を従えて、黙っていれば実は意外にきつい顔立ちの清水君が、むっとした表情のまま殺気立って歩くものだから――ホテルの客や従業員が、何事かと興味津々の視線を投げてくるのが居た堪れない。すぐに調理場の流しで洗われた傷口は、真新しいトーションを包帯代わりに止血されているのが目に痛いほど白い。
「医務室の場所なら、わかってるし、一人で行けるからっ」
「……だ〜め。僕は現場の責任者だからね、けが人は黙ってついて来なさい。」
「………」
4年も一緒にバイトしてきたというのに。こんな命令口調は初めてだった。なんだか、別人と話しているような心許無さだ。しかも――
「ちょ、っと、医務室って、そっちじゃな…っ」
「いいから、ついてきて」
そうきっぱり言い放った彼が向かっているのは、ホテルの顔であるエントランス。否、を言う前に、あっという間に押し込められたのは、いつも待機している宿泊客向けのタクシーだ。聖愛病院、そう一言で行き先を告げるのが……いかにもこういうシチュエーションに慣れている感じなのがまた……何とも学生らしくなくて違和感を覚える。
「……従業員が表から、しかもタクシーなんか……」
「望月さん、タクシーじゃ不満?救急車の方がよかった?」
「きゅ…救急車って……そこまでひどくは……」
「そう? ちょっと見ただけだけど、かなり深い傷だよ、それ」
もしかしたら、縫わなきゃならないかもね、そう呟いて唇を噛んだ横顔がひどく苛立たしげなのが、少し怖くて。未だに掴まれたままの右手首が、傷口と同じリズムでじんじんと痛むのになすすべもなくて。私は、ただひたすら下唇を噛んで車が停まるのを待った。
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