――「人生に無駄なものなんてひとつもない」





ずっとそう信じて生きてきた

辛いことも悲しいことも不条理に思えることも

そう信じて、乗り越えた

流し続けた涙で

いつか世界は、無色透明になってしまったけれど




The first encounter


(1)





「どうしたの、望月さん、」

 ぼうっとして……あなたらしくないな。
 そうバイト仲間の清水君に声をかけられ、肩を竦めて曖昧に笑い返した。

 ここはとある高級ホテルの宴会場。
 壁の花よろしく壁際に立っているものの、別にパーティーに参加しているわけではなく、これはれっきとしたアルバイト――配膳会というところが斡旋している仕事だ。
 主に結婚式などで料理をサーブする配膳会の仕事というのは、多少体力的にはきついけれど時給が良い。それに、サービス業とはいえ、ほとんど客と会話らしい会話が必要ないところも私の性に合っていたため、大学入学当初からずっと続けている。

 いくら普通より時給が高いからといっても、私の、木村家での家庭教師代だけでは、実家で預かっている姪の茉莉香(まりか)――生まれつきの心臓疾患のため、手術が必要な体だ――に掛かる医療費を捻出するのは難しい。……両親は、そろいも揃って低額所得者な上に、父親はこの春定年を迎えるのだ。もちろん退職金など、すずめの涙ほども出ない。だから。私が、出来る限り稼ぐしか、ない。

 年末年始のこの時期に多い、このような企業がらみの忘年会・新年会の類は大抵がバイキング形式である。こういう時は、空いた皿やグラスの片付けと、新しい食器の補充、飲み物のサーブだけしていればいいのが良い。その上、結婚式と比べると体力的にかなり楽なのに、時給は変わらないのも嬉しい。だからこういうパーティー形式の仕事は極力断らないようにしている。


 それにしても、


「……今日は、人が多すぎ」
「確かに」


 隣で薄く笑った彼の体温がひどく近いことに突然気づいて、息苦しくなった。


「ちょっと、ここの所忙しくて」


 あまり急に離れるのも不自然かと思い、どうでもいい言い訳をとりあえず吐きながら肩を竦める振りでそっと身を引いてみる。


「ああ、例のカテキョ? 忙しいの?」
「……ま、あ……それなりに」

 忙しい、のは茉莉香の入院準備の方で、家庭教師は忙しいというよりも……別の意味で疲れるんだけれど。
 そんなことを正直に答えるわけにはいかない。うっかりその内容を突っ込まれでもしたら大変だ。
 思わず内心、溜息をつく。

 あれから――つまり、例の、ご褒美キス事件から――は、すでに半年余りがたっていて。
 彼――木村貴史(きむらたかふみ)という名の教え子、兼、(一応)恋人、と顔をあわせるのが怖かったのも、ちょっと目が合っただけで動揺していたのもほんの最初のうちだけで、近頃は、毎回のように繰り返される『先生、かわいい』とか、『今度デートしましょう』とか、冗談とも本気ともとれるセリフは適当にかわせるようになっていた。

 帰り際に、頬や手の甲に軽く落とされるキスも、たとえそれが唇に落とされるようなことがあったとしても、「親密すぎるあいさつ」として割り切れるようになっていたのだけれど。………時々、彼の様子がどこか変な気がすることもあるのが、最近何となく不安、だった。



 今日も……しつこくデートに誘われていたところを、強硬に断ってバイトに来ているのだ。




――わかってる。



 彼の望みが、何であるのか、は。


 時折、あの漆黒の瞳に一瞬過ぎる、強い光の意味くらい。
 ……いくら恋愛に晩熟な私だとて……実は何となく、は察してはいて。



 けれど……



――そう簡単には、飛び込めない。


 怖い、のだ。
 これ以上、彼に近づきすぎることが。


 いつか……いや、あと少しだけ――





「ねぇ、」


 自分の思考に沈み込んでいた私の耳元に、暖かい吐息と共に、少し甘い低音が響いて飛び上がりそうなほど驚いた。

「そういえば、望月さんたち3年生はそろそろ就活も始めるんでしょ、」
「ううん……まだ。本格的に動くのは、年明けくらいから、かな」

 耳がかぁっと赤くなったことを自覚しながらも、何とか平静を装って普通に答える。

「望月さんなら、こういう大手の会社に就職しそうだよね」
「そん……なことは…」

 口では曖昧に答えつつ、そうじゃなきゃ、これまで何のために苦労してきたかわからない――そう内心毒づいた。これ以上一緒にいると、余計なことを口走ってしまいそうで落ち着かない。あまり立ち止まってばかりいても、まずいだろう。

「そろそろ、一巡してくる」
「ああ、そうだね」

 お仕事お仕事、そう言って銀のトレーをさっと片手で支えて軽やかに人の間を抜けていく清水君のあとを追うように、私も人波を進む。

 今日は何処かの一流企業主催のクリスマスパーティらしく、大勢のスーツ姿の連中の間に着飾った女性の姿もそれなりにあって、会場が華やかだ。煌びやかな女性たちの衣装は、ドレス一着だけをとっても私の両親の年収くらいはしそうだし、たまに鼻腔をくすぐる香りも、どれも高級なモノばかり。

(まったく……別世界だな。)

 高価な衣装に気をつけつつ、ジュースやらウーロン茶やらをトレイに載せて会場を一巡しながら客に飲み物をサーブしていく。その合間に空のグラスやビール瓶、汚れた皿なども下げていくのには、それなりの機転や配慮と体力が要求される。それでも慣れた仕草でトレイを片手に縫うようにして歩けば、聞くともなしに、会話が耳に飛び込んでくる。大抵はそんなもの、気にも留めないのだが。


『やはり、後継者は次男か……』
『いや……でも、まだ高校生だろう』
『だけどすでに、経営に陰でいろいろ口を出しているってもっぱらの噂だぞ』


「ふーん。」

 そりゃ、ずいぶんと嫌味な高校生だろうな、でもまあ、噂好きな奴ほど無能らしいから、余計にその次男とやらへの風当たりは強いんだろう。 そんな事を考えながら、ふいに思い出したのは――彼、の顔だった。
 何処かの大会社の御曹司だという貴史くんも、同じような境遇……精神的プレッシャーは相当なものだろう……と、今さらのように気づいた。

 だから、なのだろうか? 時々、ひどく大人びた表情をするのは。


(金持ちに生まれるのも楽じゃないかもしれないな。もしかしたら、貧乏に生まれるのと同じくらい)


「どうせ…」


 期間限定、の私には関係ないことだけど。そう胸の内で呟いて、視界が揺れそうになって。思わずパチパチと無駄に瞬きをして誤魔化した。「期間限定」の関係――それは、家庭教師の面接を受けた時に、彼の母親からきつく言い渡されたことだ。大学合格後は、彼とは「絶対に会わない」「連絡も取らない」それが、第一条件で。
 契約書にも、万一の場合……のことがいろいろ書かれていたのを、当時は不審に思ったのだけれど。

(もしかしたら、こういう……ことも予測していたのかもしれないな、彼の親は)

 いくら教師と生徒といっても。そこはそれ、プライベートな雇用関係だし、何よりも、若い男女がひとつの部屋でずっと過ごすのだ。普通の師弟感情以上のものが生まれても不思議はない。
 彼に見合うような家柄だとか社会的地位だとかにある家庭の子女ならまだしも、私みたいな……勉強以外何のとりえもないような………


ははははっ

 会場内で、時々上がっていた大きな笑い声が間近で響いて、私の思考は、再度途中で途切れた。 
 先ほどから、どうも…ある一団が通るたびにその場が盛り上がっているようだったな……

(今日の、主役、なのかな)

 そうぼんやりと考えつつ、自分のすぐ右側から響いた、朗々とした紳士の声とそれに続く大きな笑い声に、反射的に視線が動けば。目に飛び込んできたのは……嫌味なほどではない恰幅の良さが、ダブルのスーツにぴったりの初老の紳士と、水色のミニドレスを可憐に着こなした愛らしい少女。

 そして。

 その少女をエスコートするように隣に寄り添っている青年、だった。


「……え?」


 髪を硬すぎない程度に固め、仕立ての良いスーツに身を包んでいるせいで、実年齢よりはるかに年上に見える、けど。濃紺のフレームの奥の瞳がいつもより少し冷たいような気もするけれど。


 彼、は。





「な……んで、……貴史、くん……?」






――そして、突然、の出会い





こんなに心揺さぶられる想いを

初めて知った

臆病で、馬鹿みたいにうろたえている

自分を






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