Ma petite douceur
                〜あるいは、想定外の日常〜




                        第10話





――カンパ〜イ!!


「おつかれぇ〜〜」「お疲れさまっ、したっ!!」「お疲れ様〜♪」

 労いの言葉をそれぞれが口にしながら、グラスを合わせる。いつもの店での、モダンダンス部の打ち上げ。一気に杯を空ける者、待ってましたとばかりに料理に手をつける者等など、ステージを無事に終えた開放感のせいか、どの顔も満ち足りた笑顔だ。
 そんな中で、ぼうっと無表情のまま火の点いていない煙草を玩んでいる自分はずいぶん浮いて見えるだろうなぁ、……と、チラッと思ったけど。どうにもこうにも……どんよりとした気分は浮上してくれない。どうせ気を使わなきゃいけないような輩じゃないし、まーいっか。


「……お疲れっ!」

 トン、と小気味いい音を立てて、目の前のテーブルにビールがなみなみと注がれたグラスが置かれた。そっか、私、乾杯のグラスさえ用意してなかったんだ。
 グラスを置いてくれたのは我がパートナーのコウジだ。どうやらマイグラス持参で目の前の席に移動してきたらしい。

 後夜祭でのステージが大成功だったことがよほど嬉しかったらしく、彼も満面の笑み――と言っても、暗めの店内では、ブラック・アメリカンだという父親譲りの真っ黒な顔の表情はほとんどわからず、ただ真っ白な歯が浮いて見えるだけなんだけど――で。座ったと同時に、長い手足を少々持て余し気味に組んでから、大きな瞳で覗き込むように、こちらに身を乗り出してきた。

「な、どしたの? エミリィ、何にも食べてないじゃん。」
「…うん、」
「まー、この二日間、あちこち掛け持ちだったから、疲れて放心状態?」

 はい。これ好きだったよね?と、差し出された揚げ出し豆腐を受け取りつつ、確かにいつも支払い分以上は食べて飲んでしっかり元は取る私が、ほとんど料理に手をつけていないと言うのは前代未聞かもしれない、と、ぼやぼやした頭で考えた。

「ま……ね」

 意図したわけでもないけれど、吐き出す声にも溜息が混じってしまう。もちろん、あれだけの過密スケジュールをこなしたのだから、疲れてる、と言うのも本当。……だけど。



それよりも……



 『僕に、あなたの人生をくれないかな』



 数時間前、2日前に会ったばかりの男性にそんな台詞を言われた挙句、それがどうにも胃の辺りにつっかえてる――なぁんてことを、こんな場所で言うわけにはいかないんだよ、コウジ君。


(ごめんね、心配かけて)


 一応、心の中謝ってみたり。



「はぁ〜〜〜………」


 うれしいとか、びっくりした、とか、そんなんじゃなくて……もっとよくわからない感情を持て余してるせいで、口から出るのは、滅多に吐いたこともない溜息ばかりだ。

(やっぱり、あれは……プロポーズ……なんだろうなぁ。――『人生をくれ』ってことは、そういう意味以外にありえないよね?特に、男女間では、さ)



「…はぁ」



 一体何が悲しくて、生涯初のプロポーズを、付き合ってもいない人からされなきゃならないんだか、と思う。

 いやまぁ、だからといって現ボーイフレンドの川村からそんな事を言われたい訳じゃないけどっていうか、奴に言われたら絶対に即お断り、だ。……そこまで考えて、何よりも一番わからなくて混乱するのは――まるでそうなることが予めわかっていたような……既視感にも似た……この、妙な感覚だった。

 こんな展開はおかしい、困る、と理論的な頭では思うのに。きっと自分はそれを受け入れるんだろうな、そうせざるを得ないんだろうな、と何処かで諦めにも似た覚悟を固めている自分が居るのだ。


(あーあ。ほんと、どうしてこうなったんだろ)


「ほら、トリから」
「…んー…」
「あ、このサラダも旨いよ〜」
「…ん、さんきゅ」

 せっせとコウジが取り分けてくれる料理を半分機械的に口に運びながら、これまでの流れをさかのぼって考えれば。やはり事の発端は、初日にさかのぼるわけで。

 大体!そもそも、正臣さんと奈津子が、バイト先にあの人を連れて来たりしなけりゃ、こんなことには……なってないんだから。というか、そういえば写真がどうとか言ってたよね?そうだよ、元はといえば、奈津子が私の写真を畑森さんに見せたりしなければ……あーそーいえば。クラブハウスであったときもなんか妙なこと口走ってたような……もしかして、奈津子と正臣さんがこの件には最初っから色々と関わってた? 

「…ったく、奈津子め〜〜〜」
「はぁ? なになに、なに独り言いってんの? 奈津子さんがどうかした?」
「あ、ああ…、ごめん………つい、」
「なぁ、ほんと、今日のエミリィおかしいよ。二次会は止めて、帰って寝たほうがいいんじゃない」
「イ・ヤ。二次会はぜーーーったい行く!」
「え〜まじ〜〜? 止めといたほうがいいと思うけどなぁ」
「ぜぇったいに行く!というか、行かねばならないのだよ、コウジ君」
「はぁ?なんで?」

 なぜなら…二次会は私のわがままで、いつも軽音部と同じ(といってもこのあたりでは唯一の)ディスコなのだ。あの二人に事の経緯を問いただす好機を逃す手はない。

 よーし、会ったら目一杯文句を言ってやるぞ、と、心の中で見えない拳を硬く握り締めれば、それだけでも少し気分が晴れたのか、突然、口の中の料理に味が戻ってきた。










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