Ma petite douceur
                〜あるいは、想定外の日常〜




                        第3話





――いらっしゃいませーっ!! お客様ぁ、何名さまっすかぁ〜?

 店のユニフォームに着替えて厨房に顔を出せば、入り口から新しい客を案内する同僚の声が聞こえてきたのに耳を澄まし、

「はぁ〜いっ。6名様ぁ、8番にお願いしまぁす」

 聞こえてきた人数分のおしぼりを素早くトレーにのせ、伝票をエプロンのポケットに差し込みながら、声の指示通り案内係が客を通したであろう8番テーブルに向かう。

 金曜の夜、駅から徒歩5分圏内の居酒屋は仕事帰りのサラリーマンやOLで大繁盛。こんな日は、10時からのシフトというのは結構きつい。なぜなら、店の一番ピークの時間帯――いわゆる「宴もたけなわ」という奴に着いた早々巻き込まれるからだ。この時間帯、新しく店にやって来るお客の数はそれほどでもないけれど、なにしろオーダーの数が物凄い。おしぼりを運ぶ間にも、次々と注文の声が掛かる。

 それを笑顔で捌きながら、足早に向かった先には。

「よ。」
「あ。」

 ひょい、と片手を上げたのは、OBの正臣さんで。その隣で幸せそうな顔をして笑っている奈津子と、タク、シュウちゃん、宗一郎といういつものメンバー……に、スーツ姿の見慣れない男性がひとり。

「はじめまして。真澄ちゃん?」

 にこやかに差し出された大きな、少し厚みのある手。

(うーん。これは、握手しようってことだよね)

 一瞬考えた後、とっさに握り返した手を相手はしっかり握ったまま、僕は畑森和真と言います、正臣や奈津子ちゃんから、あなたの噂はかねがね伺ってます、と、まるで得意先周りの挨拶のように滑らかに話しかけてくる声も、物腰も、落ち着きがあって柔らかい。少し日に焼けた肌に、明るいブラウンの瞳が優しげに笑っている。ちらりと手首に光った時計も、上質そうなネクタイとワイシャツの組み合わせもどこか洗練された感じ。正臣、と呼び捨てにしたあたり、正臣さんと同じかそれ以上の年だということは。少なく見積もっても5歳は年上、か。ふ〜ん。

「どうだ、和真。これが噂の、サイボーグ真澄ちゃん」
「はぁ? ちょっと、正臣さんっ、サイボーグって……一体なに??」
「だってそうでしょお〜、真澄ちゃんのタフさは、」

 どう考えても人間離れしてるって。――そう言って可笑しそうに笑っている小山内正臣さんは、私たちが所属する軽音部のOBにして我が親友・奈津子の彼氏で。学祭のリハーサルのために、駆けつけてくれた、というか恋人に会いたくて、わざわざ仕事帰りにやって来た、と言うか。そのあたりはびみょーなんだけど。毎回、クラブに顔を出すたびにバンドの全員をご飯に連れて行ってくれるあたり、それはそれで面倒見がいいのだろうな、と思う。
 
「はぁ、まぁ、ね。どうせ今日だって朝から一日中踊ってたし?夜は深夜まで居酒屋できりきり働いて、明日も朝8時からバンドの練習して、本番のステージが終わったらまた夜遅くまでダンス部の練習だけどっ」

 うう。だからってサイボーグとか、人間離れしてるとかまではいってないと思うけど。大体、女のことにその言い草は失礼でしょう、と思う。まー私たちの間には、そんなふざけた会話は日常茶飯事だけど。

「和真、どうだ? 憧れの君にやっと会えた感想は」
「うん。想像以上だね。感動した」

 ……って。なんなの一体、その展開は?

 いやいや、それよりも。

「今日は金曜でお店も忙しいんで、」

 ここで私が油を売っているわけには行かないんですよー、お客さま、という言葉を視線にのせて正臣さんを睨みつける。

「で。ご注文はお決まりですか?」

 わざとらしすぎる営業スマイルを張り付かせながら、軽く奈津子を睨めば、ごめん、という口の動きと共にウインクを投げられる。はいはい、一応迷惑なのはわかってるわけね。まぁ、どうせ、この店に来ようとか言い出したのは、私をからかうのを一種の生きがいにしているような正臣さんなんだろうけど。

「じゃ、とりあえずナマ6つ、でいいですか?」

 健気に注文をまとめ始めた奈津子に、

「ごめんね、僕車だから……ひとつウーロン茶にしてくれる?」

 畑森和真、と名乗った正臣さんの知人らしき男性が割ってはいる。両手を前に奈津子を拝むような仕草が、どことなく芝居がかってるけど……それがまた茶目っ気たっぷりだ。

「……はい。ナマ5つにウーロン茶1つ、ですね」

 店員らしく注文を復唱する私。

「ええと後は?」

 全員の顔を見回した私に向かって、「揚げ出し!」「大根サラダと、エビ団子と」「軟骨のから揚げ」「オレいつもの!」……と、口々に言ってくる注文をテキパキとまとめて復唱して。長居は無用、と、さっさと踵を返した。

 なぜかって……じっと私を見つめてくるあの人の視線が、居た堪れなかったから。そのせいなのか疲れのせいなのか、いつもよりぼんやりと霞んだ頭では、これ以上の注文は覚えきれない気がして……他のテーブルから声が掛かったりしないように、“私は急いでいます”というオーラ全開で従業員用サンダルをぱたぱた言わせながらカウンターに取って返した。








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