Ma petite douceur
                〜あるいは、想定外の日常〜




                        第6話





――え?


 大学の門を出たとたん、車のクラクションの音が響いてびくっとした。目の前の大通り、路上駐車しているシルバーのツーリングワゴン……つまり、畑森さんの車で。運転席から笑顔で軽くこちらに手を振っているところからして、私を待っていた、らしい…たぶん…おそらく…きっと。畑森さんのもとへ行こうと一歩踏み出したところで、

(ちょっと待ちなさいよ)

 心の中で別の私が、その足を引き止めようとした。おかげで変な体勢で身体が固まってしまったのだけれど、それはもう一瞬の出来事。無理やり、前に進もうとする頭の中に、また声が響く。

(あんた、川村のバイクは断ったくせに、また畑森さんに送ってもらうつもり?)

――いや、でもさ……畑森さんが今朝、車で送ってくれちゃったりするから、こうやって歩いて帰らなくちゃならなくなってるんだし。

(バス代が高いからって、歩いて帰るつもりだったんだし、自転車じゃない時はしょっちゅう歩いてるじゃない?)

――そりゃそうだけど。そもそも、川村のバイクの後ろに乗るには……‘この子’を連れたままだと不安だったし、

 ……そんな風に心の中のもう一人の自分と会話しつつ、左腕に大人しく停まっている黒い物体を眺めて溜息を吐いた。



「……どうしよう、か、ねぇ?」

 話しかけても返事が来るワケないんだけど。



 『なぁ、ますみー、それ、どしたん?』
 『んー、さっき教室のスミで拾った』
 『拾ったって……(呆)』

 脳内で再現されたのは、先ほどの河村との会話。

 『何か、工事現場のボンドか何かに突っ込んじゃったらしくて飛べないみたいで……』
 『や……だから……』
 『ほら、足のところにタグがついてるでしょ?この子、野生じゃなくて、ちゃんと登録されてる伝書鳩みたいだから、』
 『……だから?』
 『うん……飼い主も心配してるだろうから、連絡とってあげようと思って』
 『……はぁぁぁぁ!?お前、それ、人良すぎ!』

 あきれ果てた声を出して仰け反った後、涙が出るほど爆笑していた川村……まったく、優しさのかけらも無い奴め。ねぇ?私には到底、見殺しになんてできないよ。絶対お前の飼い主は、お前の帰りを待ってるはずだから。大丈夫、きっと助かるよ?元はグレーのはずが、何だかわからないべとべとした液体のせいで、今やほとんど真っ黒になってしまって情けない風情で此方を見上げてくるつぶらな瞳を見返した。

(あーあ、畑森さんもきっと呆れるんだろうなぁ……)

 少しげんなりしつつも足はそのまま動き続け、気づけばもう目と鼻の先にシルバーの車体が迫っていた。

 曖昧な笑顔を浮かべる私の目の前、ドアがさっと開いたけれど。そのまま乗り込むのも躊躇われて、とりあえず首だけ突っ込んで、わざとらしいかな、と内心思いつつ当たり障りがないであろう言葉を投げかけた。

「どうしたんですか?こんなところで?」
「もちろん、真澄ちゃんをお迎えに」

 しらっと、にこやかに返されても。あー、やっぱりそうなんですね、とか、到底言い返せない。

「……えっと……どうして……です、か?」
「あ。うん。よく考えたらさ、いつも自転車で移動してるみたいだったのに、今朝僕が車で送ってきちゃったから……真澄ちゃん、帰るのに困ってるだろうなぁ、と思って」

(はい。まったく、その通りです)

 さすが5つ上ともなると気も利くんだなぁ、とか、今日は土曜日だからお仕事は休みなのかな、とか、着てるものが今朝と違うけど一旦家に帰ったんだろうか、とか、そうだとしたら実は近くに住んでたりして、とか……全然関係ないことが頭を掠めるのにまかせて、言葉を返すことなくぼうっと立っていたら、

「だから、どうぞ?遠慮しないで?」

 にっこり笑って言われてしまった。そうやって爽やかな笑顔でこの人に言われると、なんかほんと、逆らえないんだよねぇ、……不思議だけど。

「でも……」

 やっぱり躊躇してしまう私。

(私だけならいいけど……この新車同様のキレイな車内に、真っ黒でべたべたの……伝書鳩くん付きで乗っても良いんでしょうか?)

 そんな私の心の声が聞こえたのかどうなのか……楽しそうに目を眇めた畑森さんが、もっと笑みを深めつつ言葉を継いだ。

「ね、ほんと、遠慮しないで?その子も一緒に、どうぞ?」

 くすくす、と笑うその笑顔が――ひどく優しげなのが印象的だった。










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