Ma petite douceur
                〜あるいは、想定外の日常〜




                        第7話





「すみません。……何か妙なことに巻き込んじゃって」
「いや。いいよ。こんなこと滅多に経験できるもんじゃないし」
「……それが、そうでもないんですよね」

 ほんと、そうなんだ。大きいことから小さいことまで……私の周りには“前代未聞”とか“ありえな〜い”が、いつも溢れてる。今回だって。土鳩くらいは駅前広場なんかにけっこういるけど……大学の教室の片隅に、真っ黒な伝書鳩が蹲ってるってありえない。

「へぇ、そうなの?」
「奈津子なんかは、”真澄が甘いからだ”っていうんですけど……何だか私って、トラブル吸着体質みたいで」

 なんか、自分で言ってて情けなくなる。いや、まぁ、こんな伝書鳩をわざわざ連れ帰ってしまうのは明らかに私が甘いせいかとは思うけれど。

 学校のプールが壊れたり、修学旅行で生徒が行方不明(結局単なる迷子だったんだけど)になったりしたのは私のせいじゃないし。ただ、私が所属する集団は、たいてい大きな変化が起こる、というのはほとんど自分の中ではジンクス化している。現に、弱小クラブだったダンス部は、コウジと私の入部、そして私たちが1年生の秋に海外の提携校から交換教員としてやって来た、ブラウン先生が顧問に加わったことで、この3年間で一気に花形へと変わってしまった。

「ぷっ……くくく………トラブル吸着体質なんて、あるんだ?」

 それって初耳、そう言いながらうっすらと目じりに涙を溜めて笑っている畑森氏。今朝のスーツ姿とは打って変わって色の褪せたジーンズにベージュのざっくりしたアラン編みのセーターで、柔らかそうな癖っ気が笑うたびにふわふわして。無邪気な笑顔が少年ぽっくって、思いっきり笑われてるのに、嫌な気分がしない。

「真澄ちゃんは、甘い、んじゃなくって、きっと優しいんだよ」

 ふと、笑いを止めた畑森さんが、優しい瞳のままそう呟いた。

 21年間生きてきて、初めて「優しい」などという形容詞を使われた私は、といえば。あっけにとられて茫然自失。ぽかん、としていたら……すっと畑森さんが動いて――彼の唇が、掠めるように私の唇を奪っていった……。



(な、ななな、なんで、ええええっ!!)



「ほんと、真澄ちゃんはいい子だね」

 所詮、私の心の中の絶叫なんか聞こえるわけもなく。相変わらずニコニコと人のよい笑顔を浮かべた畑森さんはまるで兄が妹にするようにくしゃくしゃと頭を撫でて……

「じゃ、僕が協会の方に連絡とってあげるね、電話、貸してくれる?」

 と、至ってふつーの態度で聞いてくる。もしかして、さっきのは白昼夢?とか思ってしまうほど、きっぱりはっきりナチュラルで普通だ。

(う゛ーー。自分だけ動揺してるってなんか悔しい。)



――というわけで。

 無理やり何事もなかったかのように、普通の態度を崩さないまま……原油で汚れた海鳥を台所用洗剤で洗っていたのをニュースで見た、という記憶を頼りに、私が伝書鳩くんと流し台で格闘することになり。その間、畑森さんが、アパート備え付けの公衆電話から伝書鳩協会に連絡を取ってくれた。

 タグの番号のおかげで、予想よりもスムーズにすぐに飼い主に連絡がつき、今は冷蔵庫の上を自分の居場所と決めたらしい伝書鳩くんを眺めながら、私たちはほっと一息、向かい合ってコーヒーを啜っていた。

「良かったね。明日、午後2時頃に来られるって」
「2時……ですか?」
「うん、そう」
「どうしよう……明日は3時から後夜祭のリハーサルが入ってて……」
「じゃ、僕がここに居て飼い主さんに引き渡そうか?」
「でも……1時間あれば……」
「先方が2時ぴったりに来るとは限らないよ?それとも、また僕が車で送っていこうか?」

 それなら、10分もあれば余裕だよって……えーと、あの……それってどちらを選んでも、私は明日も畑森さんと一緒、ってこと?

「いえ……何とか、なると思いますから」
「そう?」

 困った時はお互い様だよ?僕には真澄ちゃんに一宿一飯の恩義もあるし。そう言って笑う畑森さんから邪気は感じない。

 むしろ、一緒にこうやって部屋に居ても、川村と一緒に居る時のような妙な圧迫感がなくて、従兄か兄(は、いないけど)と居るような気安さで……って、いや、気を許しちゃだめだってば。さっき……キスされたし……? いや、でもあれは……外人風の挨拶だったんじゃ……ほら、3年もアメリカにいたっていうから……ハグやキスは当たり前……とか?……うーーん、悩む。





「それはそうと……真澄ちゃん、ここはお風呂って、どうしてるの?部屋にはトイレしかついてないみたいだけど」

 え?お風呂……って……ぁあああっ!!忘れてたっ!!

「す、すいません、今って…何時?」
「んー?……っと、もうちょっとで10時、かな」
「えええっ!もうそんな時間!?」


「じゃ、急がなくちゃ。いつも行ってる銭湯、営業終了は11時なんですけど、入場は30分前が締め切りだから、」
「あ、銭湯なんだ。歩いてどれくらい?」
「いつもは自転車ですけど……歩いても3分くらい、かな」

 私の借りているぼろアパートには、共同でさえお風呂が無い。そのかわり家賃はびっくりするほど安いけど。元は社員寮か何かだったらしく、一応鉄筋コンクリート3階建てのクセに各部屋にトイレと台所しかついていなくて。そのかわり徒歩3分のところに銭湯があるのだけど……面倒くさい時は、流しに取り付けた湯沸かし器をシャワーのかわりにしていたりする。

 でも……さすがに畑森さんにそれは言えないよね……って……あ、またこんな時間までつき合わせちゃったんだ。そういえば、今夜はどこに泊まるんだろう?

 ま、まさか……まだ、決まってないなんてこと、無いよ、ねぇ?







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