Ma petite douceur 〜あるいは、想定外の日常〜 |
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第8話 ちょっと待ってて、そう言って唐突にドアの外に消えていった畑森さんの後姿を呆然と見送った後、次の行動に移れずに……そのまま待つこと約1分。いや、30秒だったかもしれない……が、とにかく本当にすぐに戻ってきた彼の手には、免税店のロゴが大きく入ったビニール袋が提げられていた。 「どうしたの?ぼうっとして。急がないと終わっちゃうんでしょ?銭湯」 「あ……はい。(って、そうじゃなくって!)」 「バスタオルだけ貸してくれたら、後はほら持ってるし」 そう言って、にこにことビニール袋を掲げてみせる。はぁ……やっぱりそれは、お風呂セットと着替えなんですね?がっくりと脱力……とか、してる場合じゃないから。 「……ええと……新しい、バス…タオルは……」 言われたとおりにバスタオルを出そうと、押入れに入れた洋服ダンス代わりの引き出しの中をごそごそとしている私。 (こらこら。) 何で探してんの?ちゃんと、「どうして」とか、「本当に一緒に行くんですか」とか……確認すべきことがあるでしょ、真澄? 「悪いねー、他は車に色々積んだままだったんだけど」 悪いと思っているというよりもむしろ、心底楽しそうな声。なんだかな。この人の持つ朗らかさっていうか、自分より5つも年上なのに少年のような無邪気さのせいだと思うけど、どうしても彼の申し出を無下に拒否できないんだな、これが。 『だ・か・ら、真澄は甘いんだって』 呆れた奈津子の声が聞こえた……ような気がして思わず眉間に皺を寄せ。いや、でも、だって……と、脳内の奈津子に反論しようとしたところで。 「さんきゅ♪」 間近で明るい声が響いたと思えば、当然のように手の中のタオルが消えた。不意をつかれたのに心底驚いたらしい。心臓が妙な勢いで騒いでうるさい。けれど、そんな私の動揺には全然気づかないらしい畑森さんは、ぽんぽん、と私の頭を大きな掌で軽く叩いて、 「ん?どうしたの?急ぐんでしょ?」 私の頭に手を載せたまま、そう…まるで昨日初めて知り合った人間同士とは思えないほどの親しい距離で、私の瞳を覗き込みながら小首をかしげて笑ってる。 ――あー、ほらまた。 その、お日様みたいな笑顔。 (ずるい……。) * * * 「あ。ね、これ、おいしそうじゃない?」 「はぁ……そうですね」 「んー、じゃ、あとはこれとこれと……」 ポイポイと無造作に、パンやらお菓子やら飲み物やらを手に持った籠に放り込んでいく畑森さん。その後ろを二人分のお風呂セットを抱えてついて歩く私。 深夜のコンビニで並んで買い物する姿って……きっと傍目には、恋人同士に見えるだろうなぁ。しかも、二人とも濡れ髪で、明らかに銭湯帰り――うわぁ、なんか…恥ずかしい……。 (それに。どうもさっきから、周囲からの視線を感じるみたいな気がする) 気にしすぎかもしれないけど……っていうより。あんなにいろいろ買い込んで、どうするつもりなんだろう?やっぱり、あれは明日の朝食??ってことは、また今夜も泊まるつもりなの?! ついつい、ひとり問答をして店の通路で立ち止まっていると。いつの間にかレジを済ませていたらしい畑森さんに、 「帰るよ?」 と、茶色の目で覗き込まれて。その顔の余りの近さに驚いて半歩後ずさった拍子に……後ろの人の足を踏んづけてしまった。 「ぅわっ………す、すいませっ!」 「……い、いえ」 「ご、ごめんなさい…」 と、慌てて下げた頭をあげれば。目の前に立っていたのは見知った顔――会話を交わした覚えはないけれど、確かに柔道部の、つまりは川村と同じ部活の――レギュラーのひとりだった。 (どうしよう……) こんなところを見られたら、きっと川村に告げ口される。いや、別にやましいことをしていたわけじゃ……ない……んだから万一告げ口されたとしても潔白は証明できるし心配ない、はずだ。……あーでも。案外あいつ、嫉妬深いんだったっけ。これを口実に、なんか理不尽な要求とかされたらイヤだなー……等々、つらつらと考えているうちに、背筋が凍りついてきた。 「すいません、大丈夫ですか?」 窮状を察してくれたらしい畑森さんがすっと隣に寄って来て、例の人懐こい笑顔で、その後を引き取った。……私に足を踏まれたその彼も、笑顔で、いや、大したことないんで、なんて返してる。 (助かった……ような、そうじゃないような) 複雑な心境で、猶も立ちすくんでいた私の肩を、とんとん、と軽く叩いて。 「じゃ、行こうか。真澄」 ごく自然に呼び捨てで私を呼んだ畑森さんは、そのまま振り返りもしないで先に立って歩き出した。そして私も。畑森さんにつられる様に、まだ少し呆然とまま早足で店を後にした。 * * * しばらくそのまま無言で歩いて。沈黙が少し不安になってきていたところで、静かに足を止めた畑森さんが、こちらを振り返った。 「さっきは、ごめんね?」 「……え?」 「その……勝手に余計なこと、しちゃったかな、」 彼、知り合いだったでしょ?と真剣な瞳に見詰められて面食らった。 (……気づいてたんだ……) 「彼が店に入ってきた時に、真澄ちゃんと僕に気づいて、あれって顔したからさ」 それに、真澄ちゃんもなんかすごく決まり悪そうな顔してたから……仲の良いお兄さんにでも見えるかなーって、ちょっと出しゃばってみたんだけど……うーん……かえって誤解させちゃったかなぁ……そう言いいながら、がしがしと両手で頭を掻いて。 「あーあ。俺ってダメだなぁ」 眉間に皺を寄せ、空を見上げて真剣に悩んでる姿が……とても好もしい……なんて思ってしまう私は、変、だろうか。だって、だいたい元はと言えば、一緒にコンビニに行こう、と誘ってきたのは畑森さんだし、いや、そもそも一緒に銭湯なんかに来なければ、こんなことにはならなかったわけだし。 ……でも。なんか、このままバイバイしちゃうのは寂しいかな、なんて、ちょっと思ったりして。 「まー、でも。……誤解されたんならそれはそれで、僕は構わないけど」 (はぁ?) ――今、なんか何気な〜〜く、すごいことを言われたような、気がするんですが? 驚いて固まった私に背を向けた畑森さんは、何事もなかったかのように軽い足取りで先に立って歩いていってしまい。取り残された私は、しばらくその広い背中を呆然と見つめていた。 |
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