挨拶もそこそこに、5件もクライアントとの打ち合わせを強行した。帰り際、望月さんを食事に誘ってみれば、冷たくあしらわれるかと思ったのに案外すんなりと了承の返事が返ってきたのが意外だった。驚きつつも、事前にリサーチしておいた、若い女性に人気という居酒屋で軽く一杯やりながら他愛もない会話に興じる。
(本当はプライベートなんかもさりげなく聞き出したいところだけど)
最初に警戒されたら後の日程に響くだろうから、今日のところは仕事の話中心で、最近の本社の様子などを聞く程度に留めておくことにした。――仕事中の彼女は、確かに冷徹で有能な仕事人間という印象だけど、こうして一緒にいる分には気詰まりな感じはまったくない。まだ笑った顔は見せてくれないのが少し残念だけど、それでもずいぶん穏やかな表情で一安心だ。「氷の女」の噂を聞いたときには、ちょっと心配したけど。
(うん。これならこの先も何とかなりそう)
ひとりで明るい未来を思い描いて口元が緩みっぱなしだった僕。不審に思われると拙いけど、まーここではこういうキャラで通してるし、大丈夫でしょ。そう勝手に判断し、予定通り滞在先のホテルまで送って行こうと何気なく口を開いて………………失敗してしまった。
「あ、麗華さん、どちらのホテルでしたっけ?」
久しぶりに口にした酒が災いしたのだろうか……つい、口が滑って、そう言ってしまった……らしい。
「え?」
ひどく怪訝な顔をした相手の様子に、今口走った一言を反芻した僕は背筋が一瞬にして凍った。うっわーやば。どうかそのままスルーしてください、お願いしますっ、そう必死に祈りつつ、何とか誤魔化そうと言葉を継いだ。
「あ、あのっ、もう夜も遅いし、ホテルまでお送りしようかな、と」
「いま……、」
「……はい?」
「今、私のことを何て呼んだ?」
ストレートに聞かれて万事休す。黒縁眼鏡の奥から訝しげに光る瞳に吸い込まれそうになりつつも、最後の気力を振り絞ってできるだけ情けなく見えるようにへらり、と笑いながら能天気なお調子者を装ってみる。
「いっやぁ〜麗華さんって、可愛い名前ですよねっ!」
(その、きょとん、とした顔も可愛いんだけど)
「僕、‘望月さん’ってな〜んか呼び難くって。これからは、麗華さんとお呼びしても構いませんか?」
「……構う」
ダメだ、そんなの、却下する、そう強硬に言い張る麗華さんは、見る見る耳まで真っ赤になってしまった。
(ああ、やっぱり可愛い……)
「まあまあまあまあ、それはともかく。タクシー停まってくれましたから乗りましょう」
ちょうど良いタイミングで捕まえたタクシーに、ほっとしつつ、まだ少し怪訝そうな顔をしている麗華さんを強引に押し込んで。ちゃっかり僕も同乗した。