『その冷えた指先に R』  
   
(5)



そうして一緒に働くこと5日間。その間、何度と無く「僕のことを思い出して」と、隣から念を送ってみたりもしたけれど、仕事のこと以外には案外鈍感な麗華さんには全く通用せず。二人の仲には何も進展が無いまま、とうとう出張の最終日になってしまった。プロジェクト自体は8月まで続くのだから、別に今焦る必要はないかもしれないけど、このまま東京に帰ってしまわれるのはひどく寂しい気がする。かと言って……今さら名乗るのも微妙だ……。

(あーあ。いっそのこと男の影でもあれば、まだ諦めもついて良かったのに)

目の前をぴんと姿勢を正して歩く麗華さんは、伸びっぱなしのショートヘアを無造作にゴムで括り、膝丈のダークスーツに黒のオーソドックスなパンプスという、いかにも「わき目も振らずに仕事だけしてます」というのを地で行く風情。さらに、疲れた表情を隠そうともしていないせいで、ちょっと陰険なお局さまオーラまで放ってる。
ほんの5年ほど前までの――上品に海外ブランドを着こなし、華やかな笑顔も眩しい、社内きっての花形部署でアイドル的存在だった面影は――微塵も、無い。

(でも、貴女をこんな風に変えてしまった責任は僕にもあるんだよね)

5年経った今でもあの当時のことを思い出すだけで、胃がきりきりとして脈拍が上がって強く奥歯を噛み締めてしまうほどだけれど。でも、そんな僕の苦しみなんかとは比べ物にならないほど……麗華さんは苦しんだ……いやきっと今も苦しんでいる……。そう思うと――僕の正体を明かしたら、一体どんな反応が返ってくるのか――考えるほど恐ろしくて……たとえ傍から見たら「女王様と下僕」でも、今の良好な関係が壊れてしまうよりはずっとマシなんじゃないか、とか自分に言い訳ばかりしている僕は。

……何て意気地無しなんだろう。



あれこれと僕が考え事をしているうちに辿り着いたのは、大沢部長一押しの、すすきのにある有名かに料理店だった。

「こういうのを経費で落とされるのは困るんですが」

そう冷たく言ってのけた彼女にも、部長は、いやいや、これは私のポケットマネーですからどうぞ遠慮なくとかなんとか言っている。きっと本当はこういう接待めいた食事会はあまり好きじゃないんだろう。しかも今日は朝から体調があまり良くなさそうだったし。
それでも誘いを断ることもなく、軽い嫌味程度で済ませているあたりは、年長者に対する配慮……だろうか。それとも……もしかして、敢えて表面に出していないだけで、あの底なしの優しさは健在なのかもしれない。その優しさに付け入られて酷い目に遭わされてしまっても。相手に復讐するよりは……どこまでも前を見据えて歩き続ける方を選んだ。そういう女性なのだ。望月麗華という人は。

(やっぱり、どうしても。あなたが欲しいよ、麗華さん……)





店の中でも、あいかわらず無駄に大声で話しかける大沢部長。ほとんど上の空で適当にあしらっている麗華さん。そしてせっせと部長にお酌をしたり小間使いよろしく働き続けている僕。まぁ、いつもの光景といえばいつものことだけど?


――あれ?


やっぱり麗華さんの様子がおかしい。

「だいじょうぶですか?無理しないでくださいね?」

思わず心配になって耳打ちした。
だって、けっこうお酒はいける口の麗華さんが、コップ一杯のビールを持て余し気味だなんておかしい。日系ブラジル人のお父さんの血を受け継いだ少し褐色がかった肌色のせいでちょっとわかりにくいけど、かなり顔色が青い。

そう言えば、昨夜、ベランダで煙草を吸っている姿を見かけたけど……一体何時まであそこにいたんだろう?僕が通りがかったのは、確か12時を少し回った頃だったっけ。どちらかというと大食漢なのに、食の方もあんまり進んでないみたいだし。……心配だ。





「……あの……だいじょうぶですか?」

とうとう我慢し切れなくて、肩に手をかけて、ずっと中身のない蟹の殻を箸でつついているのを止めさせた。それでもまだ、ぼんやりとしているみたいで。

「麗華さん?顔色、悪いですよ?」

畳み掛ければようやく力ない視線がこちらを見て。うわ。これはまずい、そう悟って青褪めた。速攻で何とか部長にはお帰りいただいて、どこかで麗華さんを横にさせないと。まず部長の奥さんに電話して迎えに来てもらおう、それからタクシーを呼んでもらって……そう段取りを考えつつ立ち上がろうとしたところで。

「くすくすくすくす……」

唐突に麗華さんが笑い出して……僕の背中を冷たい汗が伝った。



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