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4.光(1)



ふと、暖かな重みに気づいて目が覚めた。
時計はまだ午前4時を指している。


「優司……よく寝てる……」


そっと腕を抜け出すと、ベッド脇の椅子にバスローブがかけてあるのを見つけ、急いで羽織ってバスルームに向かった。


バスルームの鏡に映る姿は、真ん中で分けた背中まであるストレートの蜜色の髪をした私。
泣いた後のひどい顔を見て、とたんに現実に引き戻される。
少しでもマシになるかと思って冷たい水で何度も顔を洗った。
鏡に映る自分。濡れたような黒目がちの瞳が印象的だ、と言われることもあるけれど、基本的には人並みの、冴えない顔だと思う。
それに比べて無防備に寝ているときさえ、はっとするほど美しい優司……。
全然つりあうわけない。
第一、住む世界だって違いすぎる。

(そんなこと、わかっていたはずなのに)

こうやって隣に居ると、ずっと傍に居てもいいだなんて都合のいい錯覚を起こす。

それに、よく考えてみれば……優司がよくても、たぶん周りが許さない。
事務所とか、世間とか、ウチの、親、とか。
年下で、芸能人で。
しかも、出会った駆け出しの頃ならいざ知らず、今や大スターの一員だ。


「わたし、こんなとこで、一体何やってんだろ」


口に出してみた途端、涙がまた溢れた。
もう、これ以上、耐えられない……。
わたしはここで、何のために、こんなことをしているんだろう。
もう、何もかも終わりにして、消えてしまいたい。
このまま、映画も、仕事も、投げ出して。日本に帰りたい。
でも撮影ができないと……皆の、これまでの苦労が水泡に帰すんだ……私のせいで……。
ううん。そんなこと、本当はどうでもいい……。だけど……。
だけど、優司の迷惑にはなりたく……ない。
この役が私に決まったのは、優司の一言があったからだ。
だから、私が途中でダメになったりしたら、それこそ優司の信用にも傷がつく……。
でも。辛い……よ。
演技なんて、どうせ最初からできてないけど。


昨夜あんなに泣いたのに。
噛み殺しても噛み殺しても、嗚咽がとまらない。




演技することがプロの俳優だからか、ころころ変わる、優司の声、表情……。
どれが本当の彼なのか、私にはよくわからなくて。いつも少しだけ不安だけど。
でも、ずっと覚えててくれた。私を、探してくれてた。
彼の想いは、あんなに伝わってきたのに。
でも、受け入れることが、できなかったのは……私。


今までだって、言い寄ってくる男性がいなかったわけじゃない。
でも、ちょっと手が触れただけ、息がかかっただけでも……あの光景を思い出してしまって……。
みーんな、だめになった。
だから、もう、そういう幸せは、どうでもいいって、あきらめて。
子供の頃から大好きだったバレエと、実力重視の、厳しい通訳の世界でしのぎを削って戦うことを選んだ。
あの時の彼の声を支えに、精一杯がんばって。
苦しいときも、独りでがんばって。ブラウン管越しの彼の姿に励まされて。
彼の出ている映画やドラマのDVDは全部揃えた。ビデオやCDだって、ほとんど全部持っている。
ラジオとか、雑誌とかも追っかけて。
さすがにファンクラブに入るのは躊躇って、申込書は取り寄せたままどっかにいっちゃったけど。
だからこそ。もしかしたら……優司が相手だったら……って、どこかでずっと思ってたのに。


かなしい、かなしい、かなしい……。


こんな思いをずっと抱えて生きていくくらいなら。
もう、消えてしまいたい。


気がつくと、無意識に、右手に握った剃刀を左手首に力を込めて当てていた。チリチリとした痛みが走る。
もっとぐっと力を入れると、痛い、というより熱い感じになって血が噴出した。


けど、こんなくらいじゃ死ねないよね。
今まで何度か試したけどダメだったし。
あのときだって。もっともっと痛かったのに、死ななかったし。
わたし、なにやっているんだろう。ばかみたい。ほんと、ばかみたい。
ほんとは、あの時、死んでたらよかったんだ。わたしなんて。
あの事件のこと、周りにひた隠しにして。
普通の振りしてみても、突然見る白昼夢に冷や汗をかいて。
ありもしない視線に、奥歯を噛み締めて叫びださないように堪えてる。
こうやって生きていて、何の意味があるだろう。

ああ、もしかして。
優司の親友だって言ってた、聡さんの恋人……香奈さん……も、こんな気持ちだったんだろうか?マンションの屋上から飛び降りた時。
不意に、そんなことを思って……苦笑した。

――急にすとんと腑に落ちたそのことに、なぜか、ふと笑みが零れた。



警察によると、私を襲ったグループの被害者は、私だけじゃなかった。
連中は、女子大生や女子高生を襲っては、その様子をビデオに撮影し、裏ルートで密売していたらしい。
その被害者の一人が、香奈さんで。
優司と聡さんたちは、香奈さんが被害にあって自殺してしまった後も、一向に警察が捕まえることのできない連中のことを独自に探していたのだった。
私が運び込まれた病院で「優司のかわり」と言って、聡さん、一度、お見舞いに来てくれたっけ。
誠実そうな、笑顔が素敵な人だったな。
きっと、香奈さんのことも大切にしてたよね。


だからこそ。


だからこそ、苦しかっただろうな。香奈さん。
彼の想いを受け入れられなくなってしまったりしたら。
とても愛しているのに、体が、心の一部が、愛する人にさえ拒絶反応を起こしてしまうなんて。
辛くて。
自分の弱さが許せなくて。
愛しているから。
誰よりも、愛していると信じていたからこそ。
悲しくて。
辛くて。



ドンドンドン……ドンドンドン……


なんかドアを叩く音がするみたいな気がする。
誰か、部屋に来たのかな。ああ、もう、なんか力が出ないよ。
動きたくない。このまま溶けてなくなっちゃいたい。
とても、ねむい。

いいから、このまま
ねむら…せ、て………






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